Photo by Villarreal C.F.

 

「育成に優れるクラブ」とは、いったいなんだろう?

 

一般的に語られる「優秀な育成アカデミー」の定義は、「優秀な指導者」のそれと同じくらい漠然としていて、どうもあいまいだ。

 

いやむしろ「育成力」とは、クラブからみた「外界」に対して誇示してみせる必要も、他と比較して評価されるべきものでもないのかもしれない。

 

それでも一般的にいえば、優勝回数などのタイトル獲得数やリーグ戦順位などは数字なのでわかりやすく、どうしても評価指標としてつかわれやすい。

 

トレーニング環境という視点からは、施設や機器・用具の充実度が、査定考慮になるかもしれない。

 

トップリーグに何名の育成出身選手を輩出しているかという統計も、もちろんありだろう。

 

例えばビジャレアルでは、各年代のスペイン代表全カテゴリーに選手を輩出しているので、そのデーターを高く評価されることもある。

 

また、トップチーム25選手のうち11名もがカンテラーノ(育成部出身選手)であることから、「ラ・リーガのホームグロウン率ナンバーワン」という評価をいただくこともある。

 

しかし実は、ビジャレアルが考えるところの「育てる力」は、これらとは少し異なる。

 

わたしたちは、「正」の字で示すことができないもの、そうした数値化や可視化ができないようなこと。そんな部分をあえて地道に追求している。

 

指導現場において「学びをうむ環境の創出力」と「学びの機会の提供力」を指導者に問う。

 

「失敗できる環境を提供してあげることこそが、選手にとっての学びのチャンスとなる」との理解から発すると、指導者の一方的な教え込みや、細かな修正、ティーチングがNGとなる。

 

また、クラブ内ではさまざまなキーワードが合言葉としてつかわれている。たとえば「intencionalidad(西語)」。英語だとintentionality、日本語では「志向性」と訳されるようだ。要は、指導者は言動に「意図」をもたせましょう、ということ。

 

また、「意識・認識・自覚している状態」を指すConscienteという言葉も大事にしている。指導者がわかっていて言ったりやったりすることの大切さ。たくさんの「無意識」を「意識」に替えていく作業。まさに大人の気づきを問う部分。まさにここで指導力に大きな差がでると、私は思っている。

 

リーグ優勝するとか、トップリーグに選手を何人輩出するとか、そういういった自分の力だけではどうにもならないこと…。勝利やタイトルは、自分の「意図」以外に、たくさんのファクターがからみ合う。これぞまさに「三人称」、未知の世界。

 

そんな「不確か」なことばかりに意識を奪われ、フォーカスがぼやけ、無駄にエネルギーを費やしてきた、従来の自己陶酔的な指導。

 

そこへの気づきと自戒を経て、わたしたちは、まず「一人称」で完結するすべてのことをやり尽くそうと考えた。

 

まさにそれが、いまあるビジャレアルの育成方針そして育成戦略である。

 

もしかしたら外からの評価は受けにくいかもしれない。これからもきっと他人(ひと)は結果論を語るだろう。でもわたしたちは、自分たちがどんな「意図」をもって、どれだけ「意識・認識・自覚」ある状態で育成に取り組んできたか、誰よりもよく分かっている。自分たちの至らない部分も、逆に充実感などもすべてふくめて、わたしたちが掲げる指標は「ほんもの」だと思っている。

 

ビジャレアルは、選手の「8~10年後にあるべき(こうあって欲しい)姿」に対し、時間、エネルギー、愛情、そしてお金といった投資をしている。

 

「選手のあるべき姿」の定義は、120名の指導者が10か月かけてディベートしながら言語化した。あれから、はや5年。

 

以来ビジャレアルの育成部では、「いまある彼ら」と、こうあってほしい「未来の姿」との間を、行ったり来たりしながら育成に取り組んでいる。

 

主語は常に「選手」であれ。選手ひとりひとりの言葉に耳をかたむけ、対話を通じ「個」に寄り添いながら、彼らの成長を手助けする伴走者になろう。

 

そのために必要な「選手を知る」作業を怠ることなくできただろうか。家を建てるときの基礎工事に似たそれは、のちのち指導環境の豊かさとなって還元される。建設前に「地盤がどうなっているのか?」知っている、知らない、その差。

 

土地それぞれ、地層が複雑だったり、地盤が緩かったり…きっとするだろう。

 

選手における彼らの地層は「これまでに育った環境」や「現在の家庭環境」であろう。私生活や学校生活もおそらくこうした「ひと」としての地層を形成している。もしかしたら想像以上に複雑かもしれないし、感情的な地盤の緩さが見えないところに潜んでいるかもしれない。

 

こうしたまさに目に見えない部分こそを、ビジャレアルの育成部ではひとつひとつ神経質なほど大切に「意図」をもって「意識・認識・自覚」しながら、ケアーしている。

 

「サッカー選手」としての彼だけを切り離すことはできない。「学生」である彼も、「サッカー選手」の彼も、「息子」であったり「末っ子」であったりする彼・・・そんなすべてが「かれ」というひとりの人間を形成している。

 

だから当然、フットボールにおけるパフォーマンスも、彼らの私生活や学校生活と直接的な関係性にある。

 

そのため、常に選手の「起点」や「現在地」の確認作業が欠かせない。

 

ビジャレアルの施設内では、あちこちで指導者と選手が1対1で対話をしている姿をみかける。これはまさに、こうした育成理念と背景があるから。

 

さらに、100名ほどお預かりしている寮生においては、お世話になっている学校と協力体制をとり、先生方からは学校現場での「彼ら」について、ビジャレアルの指導者からはピッチレベルでの「選手としての姿」を、さらに選手寮のスタッフからは「普段の彼ら」を、3者が常にコミュニケーションをとりながらGoogleドライブで情報共有している。いまでは、学校の職員会議にうちのコーチたちが出席させていただくまでに良好な関係性ができあがった。

 

また、視点を変えたところで、「買いクラブ」と「売りクラブ」というバックグラウンドも少し心にとどめておきたい点である。

 

スペイン国内の同じ1部リーグにおいても、各クラブにおける「資金力格差」は凄まじい。

 

プロクラブにおいて、必要なときに、望んだ選手を、ある程度希望通りに、買って連れてこれる「買いクラブ」と、うちのようなクラブとでは、打てる戦略も異なる。

 

先を見込んで種を蒔き、豊作とも不作ともわからない数年後の収穫を待つ。

 

ビジャレアルにとって「選手を育てる」ことは、まさにクラブの将来を左右する「死活問題」である。

 

スペイン国内のプロリーグにおいて、会長をはじめとするフロント陣営が育成チームの試合を、来る日も来る日も欠かさず観戦するクラブを、私は他に知らない。

 

9月から6月までの10か月間、毎週末、土曜日と日曜日に開催されるリーグ戦。トップチームから、U23、21、19、18、17、16、15、14、13 ・・・。ホーム、アウェイある膨大な試合数だが、うちのフロントは可能性のある試合はとりあえず全て観戦する。

 

ビジャレアルの「三羽ガラス」とよばれる(私が勝手に呼んでいる)会長、CEO、副会長が可能な限りより多くの試合を観戦できるように、私たちは、各チームのホームゲーム日程を調整しキックオフ日時を決定している。

 

「三羽ガラス」は、Google マップでそれぞれの会場と会場の距離をはかり、所要時間を計算しながら土曜日と日曜日のスケジュールを立てる。彼らのOKサインが出てはじめて、ビジャレアル育成部の全試合日程は確定する。

 

少なくとも私が知る限り、これだけ本気で「育成」に取り組んでいるクラブは、ビジャレアル以外にない。

 

ビジャレアルの考える「育てる力」と「育成指標」とは。

 

指導者がどれだけ「意識的」に「意図」ある「学びの環境を創出」し、選手に対して「失敗から得る学びの機会を提供」しているか。

 

少しむりやりだけれど、こんな風にまとめてみた。

 

サッカー競技者総人口に対しプロ選手になれる確率は0,03%ともいわれる。プロ選手になれない可能性の方が圧倒的に高いこの世界で、「ふつうのひと」になったときに迷うことなく、惑うことなく、みずからの人生をまっすぐ歩めるよう、ビジャレアルでは「人格形成プロジェクト」も展開している。

 

そちらに関しては、数年前に書いたブログがあるので是非併せてご拝読いただきたい。

 

【ビジャレアルCF人格形成プロジェクト】

https://ameblo.jp/yuriko-saeki/entry-12209939669.html