原作者の方、ドラマ化に際したご苦労が相当にあったようですね。
わたしはアーティストではないのでファン目線しかないのですが。
音楽だとアレンジ曲でも心震える曲もあるけど、こちらは「別物」だと分かった上でどんな工夫をするのかな?を楽しんでいるからいいものの、漫画や小説はやっぱり自分のイメージを壊されたくないという気持ちになりますよね。
ドラマだとオリジナル脚本で面白いドラマもあれば、原作を見たことなくてドラマで初めてその作品に触れるケースで「面白い」ってなることもあるし。それは元々の「期待する世界観」がないからなんでしょうか?
漫画のドラマ化だと、原作漫画が好きな人が見ると不満に感じることがあるのは何故なんでしょうか??
「セクシー田中さん」では、映画「バービー」を観たときに感じた「骨があるなぁ」という描き方でした。
でもそれは原作者さんが粘って粘って勝ち取ったものだったんですね。。
ネットでいい記事ありました。
何故ドラマ化すると不満が起こりやすいのかの仕組みの考察が分かりやすいです。↓
他の方のブログ↓
全然話が違いますが映画の「This is it」でマイケルが「ファンが求めてるCDのままの音で...」(彼の発言そのままではありません) といさめるシーンがありましたが、それにも通じることかもしれませんね。
(ライブなどで「大好きなあの曲だぁ!やっと生で聴ける」って思ったらアレンジがすごすぎて別の曲になっとる。。という残念な気持ちをなくすためでしょうか。)
なので、期待とのギャップが不満になるんですかねぇ。うーーーん。
「我」を出すことと「周りがこうして欲しい」ということは一致しないことがあるから、難しいんですかねぇ。
うーーーーん。
「周りがこうして欲しい」って思うことを自分が自然に喜んで楽しんでやれるのが一番いいんですが。。
「推しの子」の6巻や2巻などでは、原作者さんと他の表現方法で世に出す人たちの間の大変さが描かれてました。漫画の中の世界かと思いきや現実にこんな大変さがあるんだ。。と思い知らされた今回の出来事でした。
ネットで検索したら同じように「推しの子」を思い出した方がたくさんいらっしゃったようですね。
人はコミュニケーション不足でも死んでしまうことがある。のかもしれません。