前回の続きです。

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私が頑張ればいいんや。

 

全部、ちゃんとしていこう。

 


友達と放課後に遊ぶ事もせず、

ひたすら“全部”“ちゃんと”こなそうと

頑張りました。

 

ただ、ただ、弟と妹が可愛かった。

私と同じ辛い思いをさせたくなかった。

 

2人の思春期は本当に大変だった。

何度殴られたか…

無視なんて当たり前。

 

1人で悩みました。

 

だって、同年代に同じ悩みを抱えてる人

誰一人いなかったから。

 

でも、今は2人とも、

すごく私に感謝してくれているし、

頼ってくれる。

本当の窮地に立たされると、

母ではなく私に頼ってくれるらしい。

母がそう言ってました。

 

涙が出るくらいに嬉しい。

 

だから、「母は強し」なんでしょうね。

 

少し話が逸れました…

 

 

一人で悩んで、

一人でただただ頑張りました。

 


そんな生活が7年ぐらい続いたある日。

 
胃が痛い。
歩く振動でさえ、響いて激痛。
 
這うようにして病院に行きました。
レントゲン撮影するも原因は分からず。
 
紹介状を持って市民病院へ行くように
医者から言われます。
 
市民病院へ行くと
胃カメラとなり、逆流性食道炎が発覚。
 
若いし、肥満でもない。
考えられるのは強いストレス。

こう言われました。

 

 

そして、この診断から1年後。

全く生活を変えてなかったんですね。

ある日、息がしにくい。


出来ないわけではない。

でも、ずっと呼吸がしにくい。

 

一緒にいた友達が

「病院に行った方がいい!」と

病院に連れて行ってくれました。

 

誰も過呼吸を知らなかったんですね。

 

 


ここの過呼吸から
私は転がり落ちるように
体調面も精神面も悪くなりました。
 
 
仕事も手につかないほど、
すぐに過呼吸になる。
 
「すぐ治りますので大丈夫です。」
と言っても、
周りから見ると“大丈夫”には見えない。
 
とうとう、休業するように勧められる。
ありがたいですよね。
休業させてくれるって。
 
そして、やっと病院へ…
そこで私は
パニック障害、うつ病などと
診断されていきます。
 
リストカットで両腕はボロボロ、
車で出掛け、スーパーの駐車場で
睡眠薬の大量摂取
 
 
でも、私は常に
“弟と妹を守りたい”
 
この気持ちだけは消えませんでした。
どう考えても“守れる”状況じゃないのに。
 
 
そして、
この“大丈夫じゃない”状況を変えたい。
変えなければ。
 
うつ病の改善とともに、
少しずつ行動していきました。