私を無にしてくれるのは、お花と少林寺拳法です | “変わりもん“がいいじゃない!!

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人間も動物やん!って気づき、人と動植物が共に生きる”いきとも®︎”を当たり前にしたい!!と考える、人を元気にする獣医師のかおりんです。そんな思いをYouTubeでも配信中。人を元気にする獣医師かおりん 又は「いきとも」で検索してみて下さいね!

毎年、この時期に

地元の文化祭をされて、

有志が集まって作品展をされる。

その主催者の方(80代で溌剌とされている)

が先日、

今年もお花を出品してと

家まで来て下さった。

 

 

「お花屋さんが廃業されて、

今は、家にあるお花を生けているので・・」

とやんわりと断ると、

「それで良いやん。

お庭にたくさんお花あるんやし・・

それでけっこうです!」

と言われて

今年も出させて頂くことになった。

 

 

しかし・・

今の時期

家の庭にちょうど良いお花がない。

枝もない・・

 

と思いながらも、

この半年ぐらい

少林寺拳法の道場にも

家のお花をいけてきた。

 

年上の方は、

「お花は買わないで

その辺のものを生ける」

と言われる。

 

 

本来は

そうゆうものなのだ・・

と改めて思う。

 

しかし・・

自然のものはなかなか

上手くいかない。

 

その時にいいものに

出会えるかもわからない・・

 

しかしそれは、

私の技術不足によるもので

最近はどんなものでも

活かせるような工夫と想像力

が大事なのだと思ようになった。

 

お花にも

命がある。

それを

切っていける。

 

 

 

だからこそ、

真剣に向き合う・・。

 

良いところを見つける。

 

「ない」

ではなく

「ある」

を見つける。

 

それが

「自然」だと

最近気づいた。

 

 

お花に向き合う時間は、

最初はいろいろと思うけれど

だんだんと

自分ができることの

底が知れていることに気づくと

(落ち込み過ぎて)

逆に

自分の無力さに

すこしづつ笑えてきて

ちょっとづつ

落ち着いてきて

心の中が

「無心」になっていく。

 

少林寺拳法も

いろいろ思うけど

どんどん

追い込まれていくと

「無心」

になれる。

 

私には、

この「無心」になれると

言うことがすごく大切

だと

最近気づいた・・。

 

 

好きだから

こそ

続けてこられた。

 

「好きこそものの丈夫なれ」

と言う言葉がある。

 

好きだと

最初はうまくなりたい

 

一番うまくなりたい

 

しかし自分の目指しているものが

一番でもないことに気づき

そこから自分なりのものを作り上げる

 

という「守・破・離」があるように思う。

 

長くやっていけば

同じことを学んでも

違うものになる。

それが「個性」と

何かに書かれていた。

 

 

人の身体も

感性も違うのだから、

考えたら

当たり前のことだ。

 

私は

そうゆうものが好きなのだ。

 

だから

一生懸命に

家の庭のいぶきを剪定して

なんともならないので

一緒に庭に咲いている花と生けてみた。

 

 

娘に

「お題をつけて!」

「鳥とミツバチ」

と即答。

 

娘には

敵わない・・

 

娘は

私の

“いきとも“だ❣️