生活作文からステップアップ | 「国語教室 Hey Ho」安藤友里のブログ

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「国語教室 Hey Ho」代表の安藤が、思ったこと・考えたことを綴ります。「文章力をつける」教室を開いているのだから、自分も文章を鍛えないと、と思って書いてます。

今回は、小学4年生と5年生との間にある大きな「差」について書きますニコニコ

 

小4までと小5以上では「上手な作文」が違うことはご存知ですか!?

意外と学校の先生もご存じないことがあって

いつも学校では褒められてるし、

うちの子は作文が得意なはず! と思っていると

実は必要な力が付いていないままだったた、という話は多いです。

 

このブログでは何度か書いたことがありますが、

簡潔に言うと

4年生までが生活作文、

5年生からは意見文

ということです。

10歳ごろから育つ抽象的概念を作文に取り入れ、

個人的な出来事から社会的な事象に目を向けていくことで

意見文や小論文につなげていくのです、

 

4年生までは、自分が体験したことを詳しく楽しく書くことが一番です。

3,4年生のお子さんの中には1000字を超えて書ける子もいます。

それが5年生になると課題文も難しくなり、

よく書けてた子も600字がやっとアセアセ

読書量が少なかったり、国語が苦手だったり、

また課題文を事前に読めてなかったりすると、全く書けなくなる子もいますショック

といっても少しずつ「~ていく」もので、急に変えられるものではありませんくるくる

 

例えば、教室の5年生はこんな作文を書いています。

(一段落目は課題文の要約です。)

 

言いにくい言葉


忘れてはならない大事な用事を忘れたときなど、

「忘れました」は言いにくいことばになって、

なぜ忘れたかという言いわけのほうが先に口をついて出てくる。

「忘れました。すみません。」という、責任感から出たことばだけが、

相手の心をほぐす力がある。

自分のまちがいをみとめることで、わたしたちは明るくなり強くなる。

 

ぼくにも言いにくかったときがある。

学校に宿題を忘れていったときだ。

正直にしょく員室にいる先生にあやまろうとしたが、

他の先生たちがじろじろぼくのことを見てきたので、

「なにもないです。」と言った。

そんな言いにくかったときに、他の生徒が先生に

「宿題を忘れてしまいました。」と

正直に言っていたので、ぼくも、しょく員室にまた行って

「宿題を忘れてしまいました。」と言った。

そのとたん先生がぼくに

「よく正直に言ってくれた。代わりの紙に書いといて出しとき。」

と、宿題を忘れたぼくをほめてくれた。

 

また、逆の立場だったときもあった。

弟がぼくがとっておいたアイスを食べたときだ。

ぼくは、弟が勝手にアイスを食べたなんて分からずに勉強をしていた。

休けいのときに、アイスを食べようと冷とう庫を開けたらアイスがなかった。

弟が食べたのか、かくにんしたら「食べてないよ」と言った。

兄にも聞いたが「たべてないよ」と言われた。

しょうがないので、他のおかしをさがしていると中に、

弟が「アイス食べたの、ぼく。」と正直に言ってきた。

さっき聞いたときは食べてないと言っていたのに、と怒りたくなったが、

ぼくもこんなとき許してもらったのに、

弟だけ許さないのはどうかしているので、許してあげた。

 

このように、正直にあやまれば、あやまることは一つですむけど、

かくしたり、ごまかしたりすると、二つや三つになり

余計にあやまりにくくなることが分かった。

「正直は一生の宝」というように、言いにくいことばも言おうと思う。

 

宿題を忘れたときのエピソードも

アイスを食べてしまった弟を許してあげたときの気持ちも、

とても分かりやすく上手に書けていますよね。

これは、小4までに生活作文を書く力がしっかり付いているからできること。

四段落目のまとめは、それに比べると短いです。

「分かったこと」は、課題文の内容と自分の経験から、

どんなことを考えて何が分かったのか、

小論文であれば話の基となる部分なので、

本来ならもっと詳しく書かなければいけません。

けれど、それは急にできるようになる訳ではないので、

まずは「分かったこと」を自分の言葉で書きます。

そして、それを一般化するために「ことわざ」を引用します鉛筆

 

最初はこちらの言うとおりの文章だったり、

合うことわざを見つけてもらうのを待っているだけだったりもします。

けれど、このお子さんがそうだったように、

次第に自分でできるようになってくるのです。

大切なのは一般化を意識して練習していくことだと思います。