犠牲 | 奮闘日記

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元JW2世の人生



統一教会の解散命令請求のニュースで、現役2世信者は『公正に扱われていれば解散命令請求が下されることはないと思っていた』と言っていました。

母親も現役信者だというこの人。

なぜかとても気の毒に思ってしまいました。エホバの証人が解散命令請求を受けたら、きっと現役のわたしの兄も同じようなことを言うんだろうな。

さらに『色んな物を犠牲にして献金や寄付をする人って、いないです。少なくともわたしは見たことがありません。そんな人を探す方が難しい』というような事も言っていました。

エホバの証人も同じようなことを言うでしょうね。なんとも言えない気持ちになってしまいました。

わたしの家はすごく貧乏で、子供にお金をかけるなんてことはできませんでした。免除申請ができるものは全て活用して、父が自営を始めてからは年金も免除申請していました。

それなのに大会に出席すると、何万も寄付箱に入れるんです。わたし、子供ながらに、そのお金があったら色んな事が出来るでしょって思っていました。

学校で使う絵の具セットや習字セットはいつもどっかの姉妹の子供のお下がりでボロボロ。わたし自身よりも、年の離れた弟がそれを使うように言われた時にした悲しそうな顔を見て、とても可哀想だと思いました。

中学のジャージは苗字だけの刺繍が入っていたので、お下がりで凌ぐことはできなくて、兄とわたしの使っていたジャージを6年も取っておいて弟に着せたこと。通っていた中学はジャージ登校OKだったから、毎日色褪せたジャージを着て学校へ行く弟の姿を、わたしは忘れられません。

親にとっては犠牲でなくても、それを見て育った子供はどう感じるのでしょう。

弟は両親のことを[宗教バカ]と言います。もう何を言っても無駄だろうって。

わたしは弟がそういう事を言うと、とても悲しくなります。弟がそう感じるのも無理はないかなと思うけど、両親にしてみたら、あの頃は精一杯だった、そんなところまで思う(お金も心も)余裕すらなかったんだろうなと思います。エホバの証人は時間も気力も大量に奪いますからね。

ただわたしは、心の何処かで

親は、わたし達子供よりも宗教が大切なんだと認識していました。子供を犠牲にしても、宗教を取るだろうなって。

1番親からの愛情を注いでもらう子供時代に、親は子供よりも宗教を愛しているというのは、子供にとってどれほど残酷なことなのでしょう。

そんなつもりはなかったかもしれませんが、わたしも弟も、そう感じながら子供時代を過ごしたという事です。