こんばんは〜
先日たまたま、TVで緊急事態の時の応急処置で命を助けられたって人達の体験のことをやってました。
元気なのに、突然倒れて、けど幸運なことにすぐさまの応急処置を受けられて助かったお話し。
その中で、心臓が止まった場合、一分一秒も無駄にできない!救急車が来る前に、その場にいる人で応急処置を!って話しで、
私は今年の正月二日の朝、母の倒れた時のことをまざまざと思い出しました。
あの日のことは、時折、思い出しては眠れなくなります。
けど、一分一秒を争うって言葉に、自分のこと、情けなく思い、取り返しのつかない失敗をして、母さんを死なせてしまったのは私だ!って思いに取り憑かれてます。
突然、気を失って、倒れた母を支えて地面に着く前に父が駆け寄って来たので、父に預けてスマホを取りに入り、救急車を呼ぼうとかけたのが、110番で話してる時に119番にかけてくださいって言われ、掛け直しに時間失ったし、
救急車、混雑してるので、時間かかりますがと言われ、それでもそのまま、お願いしてたらよかったのに、ちょうどその間、少し意識戻った母を支えてる父が、大袈裟にせんでええー、呼ばんでええというのに、(母が電話してる私の顔を見たのも目に映り)迷いが出て、あろうことか、また様子見てかけ直しますと言って切ってしまったアホな私。決断力無さすぎ!
混雑してるなら切るべきでないのに!
それからすぐに白目を剥いた母を見て、慌てて再度119 !
父がかけんでいいーって言い続ける時、父さんはそう(危ないと)思いたくないだけやろ!と言いながらも躊躇してた私に、異変を感じて戻って来た弟の、「電話せぇー」の声に、再度119した私だったのです!決断力無さすぎ!
無駄に大切な一分一秒をなくしていったのは私の失敗です。
以前にも母の為の救急車、呼んだこと、あったけど、お正月だからか、混雑してるっていってたからか、ほんとになかなか来ないって思いました。
一度聞こえて来たピーポーピーポーが来たと思ったのに通り過ぎてった時は、最初のを断らなければ、今来たかもしれなかったのに、と歯痒かったです。
玄関で倒れてる母、もう目は開けなくなってるけど、呼吸してるのはわかりました!
ピーポーピーポーが聞こえて来て、救急車を出迎えなきゃと玄関ドアを開けて外を見に立った私、
でも、この時、もしかしたら母はこときれてしまったのかもしれません。
あの呼吸してるって見てた時、深い呼吸だったし、あの時、もっと大声で母を呼んでたら手を握って母を呼び続けてたらよかった!って今更ながら思うのです。
あの呼吸は、最後の呼吸だったのかもと思います。私も弟もあの呼吸でなぜか安心してたのかも。母さん!しっかり!って言えばよかった!
静かに見守ってただけだったので、
三途の川へ向かってたのなら、大声で呼び止めなきゃならなかったのに!って思うんです。
救急隊員の人が来て、声掛けして、頸動脈に指を当て、「こりゃいかん!危ないかもしれん!」って仲間を呼ぶ声に、思わず悲鳴が出てしまいました。
高校は衛生看護科だったから、応急処置のことは何度も勉強してたのに、脈や鼻口元に手を当てて息をしてるか、最初に確認しなければならないことくらいわかってたのに、それすら確認してませんでした。
ただ、ヤキモキしながらピーポーピーポーの音を待ってただけでした。情けないです。
救急隊員の人も、救急車の中で病院のドクターに連絡してる時、家族が気づいてないようだってことを伝えてました。
救急車の中で、人工呼吸をしてくれるのを、父と私は見てました。父は母の口からバナナが出て来たのが見えたって言ってました。
救急隊員の方が、「食パンの塊やら出て来て、それが気管の方へ入って、吸引しながらの人工呼吸なんで、繰り返しになって上手くいかない、やってもやっても埒が開かない…」
で、病院に向かいました。
母さんの垂れ下がってる手に触りましたが、私の手を感じることはないんだろうなと思いました。
朝、実家へ訪れた時は、風邪で調子が悪かった母も今日は調子、良くなっとるよ!と弟が言い、部屋に入ると、母が「いらっしゃい!」と優しくにっこり迎えてくれました。私が「誰かわかる?」と聞くと「わかるよ〜」と優しく、いつもと違って認知症の人ではない素の母に戻ってる話し方のような声でした。
風薬をちゃんと飲んでほしくて、食パンを小さく切ったものと一緒に錠剤を母の口に入れたりしたけど、そんなこと、しなければよかった!
あまり、食欲なさそうだったのに、、、
無理して食べさせることしない方がよかった、
薬も食事も、身体が受け付けない時は、無理しない方がいい、
私が生真面目に薬飲まそうとしたから、食パンも無理して食べてたから、
人工呼吸の時、障害物になってしまったんだよ!
私のせいじゃん!
食べさせなければよかった、、、
ごめんなさい。母さん。
辛かっただろうな…私の罪です。
救急車で到着して救命救急室へ運ばれたら、患者の家族は入れないのはどうして?!
入らせてほしいよ!
あの日、入ってもまた、蘇生法をちゃんと施してくれたのかな?
救急車の中で、吐物が気管に入ってしまって、キリがない!って言ってたから。
もう簡単に諦めて、死因の為の検査しただけじゃない?って疑ってしまうよ。
ちゃんと精一杯、蘇生術してくれたところを見たかった!
死亡診断書は、急性心臓死
あとは白紙の項目ばっか。時間は短時間ってだけ。
↑こんだけよ!
玄関で倒れてる時、救急車を待つ間、まさか、母さんが死ぬなんて思ってなかった!
心臓が止まったなんて思いもしてなかったんです。心臓が悪いなんて言われたことないし。
検査の結果、心臓がちょっと大きくなってたそうで、心臓死だそうです。心筋梗塞か、そのようなものって、病名すらついてない、
呼吸してた時があるから、誤飲したわけでもなくて、人工呼吸で吐物は気管に入ってしまったのでしょうということ、そういう説明だけでした。
年末年始で帰省してた弟が帰るから、見送りに出よう!って台所の椅子に座ってた母を立たせたのも私です。
立たせなければよかったって後悔しました。
風邪を引いていたのに、立って玄関から靴を履く為に降りるのには段差があるし、心臓に負担かかったのかもしれません。ドアから入った外は空気に当たって、心臓に負担がかかったのかもしれません。
何もかも、私が関わって、母の死を早めた気持ちがおさまりません。
母の柩に謝りの手紙を入れたけど、読んでくれたかな。
天国で再会できると信じたいです。謝りたいです。
中学3年生の高校受験の時、衛生看護科を強く勧めたのは母です。看護科で勉強したのに、看護婦への道には進まずじまいで、けど、准看護師の免許は持ってるし、医療のこと、勉強したのに、
いざ、母が気を失った時、何も役に立てなかった私。申し訳なさすぎます。
ドヂっ子で愛想笑いで済む事と、決して笑えない失敗は共存するんですね。
緊急事態の時は、冷静に一番先に重要なことから
着実に実行していかなきゃ。
身体が受け付けないことを無理やりしない方がいい、身体の声に耳を傾けて。
TVでは、元気な人が急に倒れた事例をいくつかあげてたけど、何の前触れもなく、人は急に倒れてしまうこともあるんですね。
生まれて大人になるまで20年かかるけど、死ぬのは20秒かからないって言葉を昔、誰かからか聞きました。あっけないですね、、、
