寺田屋 In 京都伏見 | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

 

 

 

 

 

 

今年5月の出来事の備忘録です

 

GW後半家族旅行最終日
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『伏見十石舟』に乗船後は町をぶらり
 

ここまで来たら絶対に立ち寄るのは『寺田屋』でしょ
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうです坂本龍馬が襲撃された『寺田屋騒動』の舞台
 

日本で初めて新婚旅行をしたのが坂本龍馬と云われ
 

霧島神宮などを参拝しているから九州にも縁がある
 

(↑クリックすると過去のブログ記事へ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてその『寺田屋騒動』について復習タイム〜
 

『寺田屋騒動』慶応2年1月23日(1866年3月8日)
 

坂本龍馬が宿泊していた『寺田屋』で伏見奉行配下の
 

捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件で
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

龍馬は同宿の養女・お龍の機転と
 

護衛の三吉慎蔵の働きにより危うく回避し
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後しばらくの間は西郷隆盛の斡旋により
 

薩摩領内に潜伏するのですが、これが新婚旅行らしい
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追ってを察知したお龍は風呂から裸のまま2階へ
 

階段を駆け上がり危機を知らせた。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

龍馬は主に銃で反撃したが左手の親指を負傷する
 

まぁこれが簡単な流れですな~☺
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも寺田屋は1597年に山城国で百姓をしていた
 

伊助が創業した船宿。幕末には薩摩藩の定宿。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この頃寺田屋を切り盛りしていたのは女将のお登勢。
 

お登勢は18歳で6代目寺田屋伊助に嫁ぎ、

 

一男二女をもうけますが放蕩者で経営を顧みず

 

酒に溺れて35歳で亡くなった夫に代わり寺田屋の経営を担う。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薩摩藩の定宿だったことから

 

1862年「寺田屋事件」も
 

起きたりしているそうです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて『寺田屋騒動』を少し詳しく調べてみると
 

前述の復唱にはなってしまいますが
 

坂本龍馬が薩摩藩と長州藩の間を取り持ち、
 

1月21日に「薩長同盟」が結ばれたこと。
 

そして龍馬が同盟の詳細内容を知れる立場にいたこと

 

これが 長州藩は1864年「禁門の変」で

 

薩摩藩と会津藩に敗れた結果、朝敵となっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その長州藩が宿敵ともいえる薩摩藩と手を結ぶこと

 

幕府としては看過できない事態。

 

そこで伏見奉行は坂本龍馬を捕らえ

 

「薩長同盟」の詳細な内容を明らかにしようとします
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな時、薩摩藩や長州藩は坂本龍馬が狙われる
 

可能性を考慮し薩摩藩の定宿であり
 

龍馬と親交の深いお登勢が女将を務める寺田屋へ
 

そして腕利きの藩士三吉慎蔵を護衛につけます。
 

さらに龍馬自身も長州藩高杉晋作から贈られた拳銃を
 

護身用として肌身離さず持ち歩いていました。
 

その一方で伏見奉行は目付小林甚六郎の捜査で、
 

坂本龍馬が寺田屋に滞在しさらには大切な
 

「薩長同盟」に関連類を持っていることを突き止め
 

捕り方を差し向け捕縛ないし暗殺しようとしたのです
 

 

 

 

 

 

 

 

 

1866年1月23日深夜2時頃伏見奉行の捕り方30人が
 

寺田屋を包囲、この異変にいち早く気づいたのが、
 

坂本龍馬の妻で当時寺田屋で仲居だったおりょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのおりょうは風呂に入っていたが
 

裸のまま2階へ駆けあがり龍馬に危急を知らた。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂本龍馬は護身用の拳銃で、

 

三吉慎蔵は手槍で防戦し捕り方2人を射殺、

 

そのほか数人に重傷を負わせます。

 

しかし龍馬も、両手の親指を斬られてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三吉慎蔵が応戦している間におりょうが
 

裏木戸を隠していた漬物槽をどかし退路を確保。
 

何とか寺田屋の脱出に成功。
 

その後、龍馬はおりょうとともに西郷隆盛の斡旋で
 

鹿児島に逃れ怪我を癒すために

 

湯治をしながら83日間の潜伏生活を送りました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはが「日本初の新婚旅行」ともいわれています。 

 

こうして生き延びた坂本龍馬は、
 

6月の「第二次長州征伐」では長州側で参戦し、
 

戦後は大政奉還の実現に向けて奔走します。
 

龍馬は大政奉還を実現した直後の「近江屋事件」で
 

短い生涯を終えることになります。




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