今年5月の出来事の備忘録です
GW家族旅行最終日は《鯖寿司》食べて出発です
兎に角GWなので混んでる京都の中でも人が少い
京都にしてはオフシーズン的な場所を狙って観光
この日まずは京都伏見へ向かい遊覧船『十石舟』へ
伏見は その基礎を豊臣秀吉がつくりました
華やかな京都のまちを支えた交通・流通の要は水運。
豊臣秀吉は伏見を城家町として開花させ、
京と大坂を結ぶ淀川水運発着点として天下に知らしめ
徳川時代初期には世相安定とともに淀川で結ばれてた
伏見・大阪間の交通機関として旅客専用の船
“三十石船”が登場したのだそうです。
今でも観光船として『三十石船』も定員30人で
一日6便(※運航日が少ないため、要問合せ)で運行
ちなみに一石とは大人一人が1年間食べる米の量です
実際の大名の石高は実際とは差があったようですね
我々は江戸時代に淀川を酒や米を運んだ《十石舟》に乗船して
酒蔵に柳が映える宇治川派流を約50分で往復す
三栖閘門(みすこうもん)で一度下船し、
三栖閘門資料館で水位差を調整した運河の仕組みを
見て折り返すコースに乗船です☺
月桂冠大倉記念館裏の河川沿いの乗船場 発→
三栖閘門下船(見学)→乗船→乗船場に戻ります
桜の時期は水路に広がった桜の花びらを舟が
割って進んで行く姿が美しくて有名ですよね
そういうのはないけれど新緑の時期も良いものです
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陸上交通が未発達の江戸時代から明治時代には、
京都~大阪間を結ぶ淀川舟運が重要な輸送手段
その流通拠点となっていた伏見港は「京都の玄関口」
1918年(大正7)に始まった淀川改修増補工事により
1922年(大正11)から着手した宇治川右岸の
観月橋~三栖の間の築堤工事で
伏見港と宇治川との船の通航ができなくなり
このため淀川へとつながる宇治川と濠川との間を
船が通航できるよう1929(昭和4)3月31日、
宇治川と濠川との合流点に三栖閘門が建設されました
その三栖閘門資料館見学したりなかなか良かったです
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