人と人との出逢いは
その人の運命を変えてしまうことがある
それが良い出逢いなのか
それとも出逢わなければよかったのか・・・
僕が最後の時を迎える時
いったい何を思うのだろう
遠藤周作の
若かりし頃の日記に
「生きるということは、
何故こんなにも辛いことなのか」
という記述がある。
その気持ちが僕にはよく判る。
毎日、抑えきれないような
欲望と戦っている・・・
すべては、もうギリギリの理性と
大切なものを心から守ろうという
偽善のその細い糸のようなものだけに
支えられているような気がする。
「生まれて、 すみません」(二十世紀旗手)
「絶望するな。 では失敬」(津軽)
「富士には月見草」 がよくにあう」(富岳百景)
「人間だけあるもの、 それは秘め事」(斜陽)
そこには人生を苦しみ抜いた
太宰治の苦悩がうかがえる
いったい、僕に生きている価値があるのか
貴方にとって必要でない人間なら
いっそ消えてしまった方がいい
それが貴方の幸せのためならば
僕は消えてしまっ方がいい
太宰は言い放った
「人間失格!」
忘れてしまいたいことや
どうしようもない空しさに
包まれた時、
男は酒を飲むのでしょう
(「酒と涙と男と女」河島英五)
これ、今東光の座右の銘である。
今東光は大正3年、16歳の時に
関西学院中等部2年の1学期に退学になる。
神学部の院長の娘と恋愛事件を起こした
というのがその理由だった。
そして、兵庫県立豊岡中学校に転校するも、
2学期に恋愛事件をキッカケに教師を殴って
また退学処分を受けた。
その転校する際に、友人は
誰も見送りには来てくれなかったが、
校長が1人、見送りに来てくれた。
この校長が別れの際、今東光に
「失望すること勿れという言葉を君に贈ろう。
失望しなければ、明日はあるのだよ。
失望した時が、はじめて自己崩壊で、破壊の時だ。」
と言った。
そして、
この言葉、今東光にとって
生涯忘れえぬ言葉となった。
叶わぬ夢・・・
希望を捨てることなく
もう少しだけ
頑張って
生きてみよう
でも、
限界を超えたら
グットバイ!!