巧言令色鮮仁 | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

PHP文庫

渡辺和子著「心に愛がなければ」のまえがきに

「巧言令色鮮仁」という言葉が書かれています。

今日は、そのまえがきの一部を紹介したいと思います。


 


「心に愛がなければ」という題は、愛の本質をついたものです。

私の父は、私が幼い時になくなりましたが、生前、膝の上に乗せては、

論語をわかりやすく教えてくれました。

その中に「巧言令色鮮仁」(言葉巧みに話したり、顔色をよくして

相手の機嫌をとるような人に、本当の仁の心は鮮(すくな)い)という

句があり、父は、特に力を入れて説明してくれたように覚えています。

そのように生きようとして、他の人々に煙たがられ、殺された父の

死後十年にして、洗礼を受け、読んだ聖書の中に、

「たとえ、天使の言葉を話したとしても、愛がなければ、

それはやかましい音でしかない」といった言葉があり、

たいせつなことは、洋の東西を問わず同じなのだと思ったものです。

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思うのです。Facebook等でコメントをする時などに

僕は気持ちを込めて書き込むように心がけています。

ただ「行きたい~」、「美味しそう~」、「やだー」、「食べたい~」

このように短くて薄っぺらい言葉にならないように・・・・・・

興味がなかったり、知識もなくよく調べもしないで「行きたい~」

とかコメントすることはありえません。

言葉には愛がなければいけません。

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本著に戻ります。

これは反対に、「愛があれば」、どんなつまらないこと、

些細なことも尊いものに化するということであって、

この真理をまた、数多くの出逢いの中で教えていただきました。

(中略)

「ほんとうの哀しみ」というものは、ひたすら哀しむことによって

感じられるものではなくて、むしろ、それに立ち向かい、

乗り越えた時にのみ、しみじみ実感されるものと悟りました。

私の哀しみなど、取るに足らぬものですが、人間一人ひとりが、

自分の哀しみに打ちひしがれることなく、その中でほほえみを

忘れずに生きて行く時、ほんとうに美しい人になれるのだと思います。


 


言葉に愛がなければ、それは哀しい事です。

例えば、苦情を言ってくるお客様に対して

日頃の感謝の心を忘れて接すれば、

ただのクレーマー、煩いお客様だと思えば

対応が悪くなります。

こういうお客様は相手を受け入れなければ

収まることはありません。

収めることができれば、逆に良いお客様になって

頂ける場合もあります。

でも愛がなく、対応が悪く、お客様を逆上させてしまった場合、

上司から怒られたり、不利益を被ることがあると思います。

貴方は、それを特殊な嫌な客のせいだと、恨みますか?

相手だけを責めるのですか?運が悪かったと・・・。

そこにはお客様というものへの感謝の心がありません。

不利益を被ったのは、自分が未熟だったからとは考えないのですか?

そう思えない人は、いつまでも幸せな人生を迎えられません。

それを受け入れた上で、その後をどのように生きていくかで

人間として成長できるか、できないかが決まるのではないでしょうか?

このBlogを読んで嫌と感じるか?、それとも共感するのか?

僕には読者の皆さんの心は判りません。

僕の言っている事を強要するつもりもないし、権利もない、

ましてや正解でもないし、正しいことでもないかもしれないけど、

でも読んで、これを自分の糧にできる人、

それが人として素晴らしい美しい人ではないか・・・

すべてを受け入れる心がなければ

不幸な人にしかなりえません。


 


それでも貴方は

この世に一つしかない大切な花なのです。




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