信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。 | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

先日

渡辺和子さんの

「置かれた場所で咲きなさい」の著書について

さわりを紹介しました。 ↓

http://ameblo.jp/yupirokin/entry-11637257407.html

今回は、もう少し掘り下げて紹介したいと思います。


 



幻冬舎「置かれた場所で咲きなさい」より


自ら判断して、その判断に基づいて選択、決断して、

その決断したことに対しては責任をとる、

そういう人がパーソンと呼ばれるに値する。


「人格」である限りは、あなたと相手は違いますし、

違っていていいのです。

相手もあなたと同じ考えを持たないで当たり前。

「君は君 我は我也 されど仲よき」という、

武者小路実篤さんの言葉があったと思います。

そういう気持ちが大切なのです。

自分が一個の人格である時、

初めて他人とも真の愛の関係に入れるのです。

みんな自分は自分、あなたはあなた。

私と違うあなたを尊敬する。

相手の人も、自分と違う私を尊重してくれる。

そして、その間に愛というものが育っていきます。

一人ひとりは別なのです。

 


失恋にしても、あなたの失恋した時の淋しさと悲しさと、

失恋をしたお友だちの淋しさと悲しさは違います。

しなかった人と比べたら、ある程度、理解できるかもしれないけれど、

「私も経験したからわかるわ」といい切るのは

思い上がりではないでしょうか。

この間学生に、「お父様を失くした友だちに何と声をかけてやったら

いいでしょうか。シスターだったら何と言われますか」と聞かれました。

私が答えたのは「ただ傍らにいて手を握ってあげていたらいいと思う。

何をいったら相手が慰められるだろうかじゃなくて、あなたの、

本当に相手を想う気持ちが大事なんだから。

手を握らないでも傍らにいてあげるだけでいい」と。

---------------------------中略-----------------------------

人間は決して完全にはわかり合えない。

だから、どれほど信頼していても、

「100%信頼しちゃだめよ、98%にしなさい。

あとの2%は相手が間違った時の許しのために

取っておきなさい」といっています。


 


人間は不完全なものです。

それなのに100%信頼するから、許せなくなる。

100%の信頼した出会いはかえって壊れやすいと思います。

「あなたは私を信頼していてくれているけれども、

私は神さまじゃないから間違う余地があることを

忘れないでね」ということと、

「私もあなたのほかの人よりもずっと信頼するけど、

あなたは神様じゃないと知っているから、間違ってもいいのよ」

ということ・・・・・。

そういう、「ゆとり」が、その2%にあるような気がします。

間違うことを許すという「ゆとり」。

それはお友だちの同士にしても大事なことです。

 



僕は

あなたが困っている時、悲しんでいる時、寂しい時、

そっと傍らに寄り添っていてあげられるような

人になりたいと思います。


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