渡辺和子さんの
「置かれた場所で咲きなさい」の著書について
さわりを紹介しました。 ↓
http://ameblo.jp/yupirokin/entry-11637257407.html
今回は、もう少し掘り下げて紹介したいと思います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131104/04/yupirokin/db/60/j/t02200165_0800060012738039333.jpg?caw=800)
幻冬舎「置かれた場所で咲きなさい」より
自ら判断して、その判断に基づいて選択、決断して、
その決断したことに対しては責任をとる、
そういう人がパーソンと呼ばれるに値する。
「人格」である限りは、あなたと相手は違いますし、
違っていていいのです。
相手もあなたと同じ考えを持たないで当たり前。
「君は君 我は我也 されど仲よき」という、
武者小路実篤さんの言葉があったと思います。
そういう気持ちが大切なのです。
自分が一個の人格である時、
初めて他人とも真の愛の関係に入れるのです。
みんな自分は自分、あなたはあなた。
私と違うあなたを尊敬する。
相手の人も、自分と違う私を尊重してくれる。
そして、その間に愛というものが育っていきます。
一人ひとりは別なのです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131104/04/yupirokin/47/55/j/t02200165_0800060012738039332.jpg?caw=800)
失恋にしても、あなたの失恋した時の淋しさと悲しさと、
失恋をしたお友だちの淋しさと悲しさは違います。
しなかった人と比べたら、ある程度、理解できるかもしれないけれど、
「私も経験したからわかるわ」といい切るのは
思い上がりではないでしょうか。
この間学生に、「お父様を失くした友だちに何と声をかけてやったら
いいでしょうか。シスターだったら何と言われますか」と聞かれました。
私が答えたのは「ただ傍らにいて手を握ってあげていたらいいと思う。
何をいったら相手が慰められるだろうかじゃなくて、あなたの、
本当に相手を想う気持ちが大事なんだから。
手を握らないでも傍らにいてあげるだけでいい」と。
---------------------------中略-----------------------------
人間は決して完全にはわかり合えない。
だから、どれほど信頼していても、
「100%信頼しちゃだめよ、98%にしなさい。
あとの2%は相手が間違った時の許しのために
取っておきなさい」といっています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131104/04/yupirokin/ad/16/j/t02200165_0800060012738039331.jpg?caw=800)
人間は不完全なものです。
それなのに100%信頼するから、許せなくなる。
100%の信頼した出会いはかえって壊れやすいと思います。
「あなたは私を信頼していてくれているけれども、
私は神さまじゃないから間違う余地があることを
忘れないでね」ということと、
「私もあなたのほかの人よりもずっと信頼するけど、
あなたは神様じゃないと知っているから、間違ってもいいのよ」
ということ・・・・・。
そういう、「ゆとり」が、その2%にあるような気がします。
間違うことを許すという「ゆとり」。
それはお友だちの同士にしても大事なことです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131104/04/yupirokin/4b/a6/j/t02200165_0800060012738039330.jpg?caw=800)
僕は
あなたが困っている時、悲しんでいる時、寂しい時、
そっと傍らに寄り添っていてあげられるような
人になりたいと思います。
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