友達をなくすという事 | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。

先日、会社の同期が

闘病の末、天に召されていきました。

知る限り同期で3人目。

前の二人は独身、

今度はつれ合いと娘二人。

その悔しさは計り知れないものがあります。

面倒見がよくて、いつも行動的な奴でした。

同期、幼馴染の友を失くすということは

言葉では言い表せない苦しみがあります。

それは歳を取るほどに強く感じるものです。


 


友をなくすということは

死別とは限りません。

ちょっとした誤解や

ボタンの掛け違いで

友達の縁を切ってしまうこともあります。

でも、その行為が人としてどんなに重いことか

しっかりと認識することです。

それが理解できていないのでれば

浅はかな、心の貧しい、可哀想な人の行為としか

言いようがありません。


 


一見、縁を切った人の方はいいでしょう。

さっぱりした気分になって、

まさに勝ち誇った気分。

自分は正しいことをした。

悪いのは相手、自分は悪くない。

誰に聞いても、私が正しいと言ってくれる。

でも、自分が異臭を放っていることに

気付かないものです。

自分の匂いには、

自分では、なかなか気付かないものです。


 


縁を切られた方は

一生の心の傷となり、

けして癒されることはないでしょう。

確かに、時間は記憶を忘れさせ、

見た目の傷は癒えていくでしょう。

でも、この傷は死ぬまで十字架として

人は背負っていくことになるのです。

それは縁を切られた人の交流関係にも影響を及ぼし、

その人の人生を変えてしまうこともあるのです。

ましてや人を死に追いやることも可能です。

縁を切るということは、それだけ重いものなのです。

それが判っていて、縁をきるのであれば

それはそれで致し方のないことかもしれません。

感情ではなく、自分で深く考え決めたことならば。


 


そして友達だから縁を切っていけない

という訳でもありません。

宗教への勧誘を強制するような友、

麻薬など違法な薬物を勧める友、

悪事に誘導するような友、

これらは縁を切るべきだと思います。


 


そして縁を切られた方を擁護するつもりも

けしてありません。

縁を切られるような誤解や失言をしている

はずですから・・・

それは心から反省と侘びの誠意を尽くすべきです。

あとは受けた側が相手を許すことの度量があるか、

人として心の大きさがあるのかどうかが問われています。


 



また縁を切った方もいつか

それは必ずや心の傷になっていきます。

歳を重ね、貴方のことを一番に考えていてくれた

両親もいつか天に召されていきます。

親友だっていつ遠くに行ってしまうか判りません。

もし貴方が一人ぼっちになった時、

もし貴方が孤独な死を迎えようとした時に

実は縁を切った相手が、もし縁を切らずにいたら

貴方の事を一番考えていてくれた、

最後まで自分を支えてくれる

最後を看取ってくれる、もっとも大切な友人になりえるはずの

人だったのかもしれません。

そして、それが判るのは人が死ぬ間際の一瞬に

気付くことになるでしょう。

後悔は先にたたず・・・


 



そのような後悔をしない方法は

一つしかありません。

人を介さず、

とことん二人だけで疎遠になった理由をお互いに話し合うことです。

とことんお互いに議論をすることです。

もしお互いが仲直りをすべきという心があるのであれば

逃げずに、徹夜でもして議論すべきことです。

そうすれば、おのずと見えてくるものがあります。

そして以前にも増して、その相手が男であれ女であれ

自分を一生掛けて支えてくれる最良の友となるでしょう。

本当に大切なものはなんなのか

見極められる大人になりたいものです。

それを貴方に伝えたいし、

気付いて欲しいと

親として思います。


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