正義感 | yunnkji1789のブログ

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東日本大震災の時期がやって来た。
岐阜県立学校はこのころ、入試と採点で大忙しになる。後、内示も。あの日も、そんな感じでバタバタしていた。詳しいことはかけないのだが。
テレビは「ありがとウサギ」が延々と流れていたあの頃。町中に「頑張ろう日本、頑張ろう東北」の横断幕が溢れた。
生徒指導の教師が、「東北の被災者のことを考えろ」と指導していて、普段反抗的な生徒すら、おとなしく聞いていた。
働き者の先生が「被災地の人に比べたらこれくらい」と頑張っていた。
おそらく、日本中が、被災地に対する愛情と正義感に溢れていた。
しかし、誤解を恐れずいえば、私は少し「気味の悪さ」を感じていた。
何か、それ以外の思想を一切受け着けない、偏狭さも感じていたからだ。
おそらく、戦時中の国防婦人会の人なんかは、こんな感じだったのではと思うのだ。「兵隊さんありがとう。」「欲しがりません、勝つまでは。」そんな標語を盾にして、人々の生活を監視し、他の意見を許さなかった人々は、戦地で辛い戦いをしている兵隊を思いやり、欧米によって虐げられているアジア諸国のことを憂える。「清く」「正しく」「優しい」人だったのだろう。
正義は集団になると凶器になる。
正しいことはいいことに違いない。しかし、寛容さを兼ね備えた正義であって欲しい。
特に情緒的になる時こそ、気をつけなければいけない。
311の日。防災無線で黙祷のサイレンが流れた。
職場ではもう、誰も黙祷しなかった。
私は居心地の悪さを感じて、自分の席で一分間手を合わせた。