健全な精神は健全な肉体に宿る? | yunnkji1789のブログ

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私も、体育会系の世界で学生時代を過ごしたものだからよく言われてきた。
この言葉、世界的に誤解されて理解されている言葉である。
正式な日本語訳は「健全な精神は健全な肉体にやどれかし」となる。「かし」は願望の終助詞だから「体も心も健康ならいいな」といっているのである。「体を鍛えれば心も健康になる」と言う解釈は間違いであるばかりか障害者差別などにもなる。
ただ、この間違いは、日本だけではない。どうも帝国主義や軍国主義の広まりと共にプロパガンダとして広まったらしい。
同じような間違いに、論語の「巧言令色鮮なし仁」がある。口語訳は「口が巧くて取り繕う人は仁義のある人は少ない」となる。
訳は正しいのだが、意味が勘違いされている。
漢和辞典によると「鮮」には、「少ない」と言う意味と「滅多にない程素晴らしい」「稀だ」と言う意味がつく。つまり、少ないには違いないのだが、肯定的な少ないなのである。だから、意味としては「口がうまいやつはだいたい仁義がない」ではなく、「口が上手い上に仁義がある人って滅多にいないけど、すごいよね」と言う意味であり「巧言令色」を否定するニュアンスはない。

世の中には様々な格言がある。
私たちはそれらを「事実」だと勘違いしていることが多くないだろうか。
スポーツが強くても性格が究極に悪い生徒は沢山いる。柔道メダリストも、剣道日本チャンピオンも、淫行で捕まった。反対に闘病生活をしながら高潔な精神を保っている人もいる。
考えてみれば、わざわざ「やどれかし」と言うということは、「健全な肉体」の持ち主が「健全な精神」を保っていることは難しいという意味にもとれる。
「格言」は、世の中の「事実」ではない、「願望」であり、「理想」に過ぎないということをしっかり自覚しないと、自分を見誤ると考える。