手術を思い出す その③ | ゆにのブログ

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~気づいたら37歳歳~ 27歳で子宮頸がん1b1期から、術後病理結果で1b2期へステージUP 広汎子宮全摘(卵巣温存)⇒転移はなかったものの腫瘍がナント6cm⇒2013年10月抗がん剤治療終了→仕事復帰→2015年6月、結婚しました!→2018年バリバリ外回り営業→2022年IT営業なう

ふぁーっと目が覚めた。


目が覚めた時ちょっと状況が飲みこめなくて、朦朧としてた。


精一杯声をだして「無事ニ終ワッタンデスカ…(カラカラ声)」と聞いてみた。


「終わりましたよ!頑張りましたねっ」と看護師さん。


いやー、5時間ぶっ通しで手術していた貴方がたの方が頑張ったのではΣ(゚Д゚;


「今何時ですか…(´Д`;)」と聞いたところ


3時過ぎだったかな?あまり覚えてないけど。


私が眠るまで姿を見せなかった主治医が居て


「ゆにさん、見える腫瘍は全部取りきれましたから。大丈夫ですよ。」と言ってくれた




いつの間にか、手術台から暖かいベッドに移されていて


そのままICUへ運ばれた。


妹も遠方から駆けつけてくれて、家族がみんな傍に来てくれた。


後に聞いた話、私の子宮は家族に大公開されていたらしいΣ(゚Д゚;




その時はまだ傷が痛むって感覚はなかったんだけど


とにかく自分が弱ってるんだなぁという事はよーく分かった。゚(゚´Д`゚)゚。


なんか、超寒い。とんでもなく寒い。


気付いたらすごい勢いで全身が震えていて、歯がカチカチ鳴って止まらんかった。


お腹の中を洗っているから冷えているのだ、と看護師さんは家族に説明していた。


アルパカが今日居なくて良かった…こんな姿見たら本気で心配しただろうな


多分真っ青になって、けいれんを起こしているかのごとく震えていたと思う。


そんな状況なのに、電気アンカか電気毛布がお尻の下に入っていたらしく


尻が燃えるように熱くて


「尻あついわぁ…めっちゃ尻熱いわ…なんやねんな。尻癌になるわ(´Д`)」と


家族にぶつぶつ文句をたれる元気はあったw




ICU混雑の為、30分後には元居た病室へ戻された。


のど乾いたなぁ…でも今日は水飲めない。酸素で更に口の中がカラカラ。


同じ姿勢が辛くて、何度か看護師さんに軽く寝がえりを打たせてもらった。


足にはきっついストッキングと、血栓防止のためのぶるぶるマシーンみたいなのが付いてる。


父はずっと寄り添いたい様子だったが、母が「こういう時はそっとしておくべき」と言い


家族は早々に帰った。実際、私はその方がありがたかった(∀`*ゞ)




気合いをいれれば携帯を扱う事もできた気がするけど


その日はとにかく安静にしてようと思ってやめた。


次の日携帯を見たら、手術中にすごい数のメールが来ていて


みんな愛してる!と思ったんだけど(*´・ω・)(・ω・`*)


夕方くらいから39度の熱が出始めたようだけど、


熱のせいで苦しいという感覚ではなかったかな?


とにかく傷がズキズキ痛くて、申し訳ないと思いつつ何度もナースコールを押した。


背中の針に麻酔を流しても痛みは治まらず、結局その日はほとんど眠れなかった。


(´・ω・`)…




そんなぐだぐたな私の、翌日の写真がこちら↓↓↓




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スタイル悪!!Σ(゚д゚lll)


熱も下がり、余裕のピース(*´ω`*)血圧超低かったけどねw


ここから、まだまだたくさん痛い事はあったけれど


1か月と10日位経った今わたしは超元気です(∩´∀`)∩♪♪




追加治療も頑張ります!!



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