変わったひと、でいることは、自分を守ることだったのかもしれない。 | あにろぐ〜漫画家・兄崎ゆなのなんやかんや〜

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 漫画家・兄崎ゆなの、あれやこれやと、ぽめたろう♡(犬)

ううう

 

 

GW進行、終わったと思ってたら

 

今週もだった・・・一日前倒し進行になっただけだけど・・・

やっと終わった・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・

 

 

あれ?

 

もう5月?

 

 

え?

 

 

もう5月!?

 

 

・・・・・・・・・・

 

 

きっとこんな調子で

「えー、まだ20歳だと思ってたのに、もう寿命〜?」

とか言いながら人生を終えるんだろうな・・・。

 

 

 

はい、というわけで、

タイトルですが

 

 

小さい頃から『変わった子』と言われて育ったわたしですが

今になって思うのです。

 

「変わっていたのは自分を守るためだったのかも」と。

 

 

というのは

 

 

最近、感染予防で

「人と会うな」

「人と触れ合うな」

「家の中で一人でいた方がいい」

言われてるじゃないですか。

 

 

これ

 

つい去年くらいまでは

「引きこもり、よくない!」

「もっと外に出て人と会おう!」

とか言われてませんでした?

 

お悩み相談で「不登校なんです・・・

どうしたら学校に行くようになりますか?」

とか。

 

(わたしも不登校やりましたよ〜)

 

 

今、

 

不登校で引きこもりの人が、

状況的に『よし』の世界じゃない?

 

あれ?どこでこの世界線に入ったんだ?。。。とついつい思いましたよ。

 

まあ、状況がうちらに寄せてきただけで、精神的な原因とか、

問題じたいは解消されてないと思うけどさ。

 

 

 

 

以前の世界線で、『人と会わない変わった人』だったわたしは

この世界線では「感染予防に長けた人」みたいになってる。

 

基本、人混みいかないし

列ができてると並ばないで他を探すし

 

飲み会・会合には参加しないし

 

人の少ない早朝に動くし

(ぽめたろうのさんぽはいく)

夜は早く寝るし

(原稿忙しい時は除く)

 

作業はなるべく一人でやって

親でも同じ家にいると作業に集中できないから嫌で

ぽめたろうさえもときに『無理!』ってなる。

 

こんなに「人とかかわらない」のって、どうなんだろう・・・

思いつつも

 

自分の快適なスペースを追求していたら

『漫画』『睡眠』『ぽめたろう』の3つを守っていれば

心地よいことに気づき

 

むしろ

この3つを守れなかったら

いかに褒められようと、社会的にいいとされてることだろうと

わたしは健やかではないのであった。

 

(一応、社会的に良しとされていることにも

チャレンジはしてみた・・・無理だったけど)

 

 

 

「あー、変わった人だと思われるなー

いいや、もう。

はいはい、わたしは変わってますよーーーー」

がんばって開き直っていたら

 

なんか

 

がんばらなくてもいい世界になってた。

 

 

 

うーん。

 

ウイルスは、いいことではないけれど

 

ウイルスによって、

世界が今までと違った目線に気づいて

 

いままで頭ごなしに、当たり前に「いけない」と思っていたことが

実は『自分を守っていた』ってことに気づいたら

それは、意味があることではないかしら。

 

 

過敏な人には

世の中の常識が、刺激が強すぎることがある。

 

人の感覚に合わせすぎちゃう人には

友達100人つくって、山の上でおむすび食べるのがつらすぎる。

 

2人くらいでいい。

むしろ一人ぼっちがいい。

山じゃなくて、平野でいい。

 

そこで快適ならば、それもありだ。

 

 

・・・

 

これは、『引きこもりが苦じゃない』という変わった人(わたし)の話。

 

 

これと真逆の『人と一緒にいないと嫌!!!』『一人、無理!!!』という人には

今の状況は辛いのだろう。

(両親がこれなので、想像はできる)

 

 

万人にいい、というものって難しいなぁ。

 

 

でもさ、そういう人は逆に

『人と一緒にいる』ことで

『みんなとワイワイやってる』ことで

『自分を守ってる』ことがあるはずなんだよ。

 

それに気づいたり

「ああ、それにしても、あの会合は本当はいやだったなー」とか

付き合いを考え直してみたり

「人と一緒にいない自分が怖いことってなんだろう?」と

自分を掘り下げてみたりできる機会かもしれない。

 

しらんけど。

(知らんのかい)

 

 

 

 

 

『変わった人』歴が長い私から言うと

 

『変わった人』というポジションも

なかなか楽なもので

 

ちょっとくらい個性的なことをしても

「ああ、あの人変わってるから」

済んでしまったりすることもあるのだ。

 

*社会的人道的なルールはこれにあたりません。そこは守る。

 

 

 

「ああ、あの人そう言うキャラなんだ」

認知されることほど

楽なことはない。

 

 

 

・・・人によっては「それは違うよ!こうしなよ!」って

干渉された方が嬉しい人もいると思うけど。

 

 

 

世の中が『自粛』で『人と会わない』『引きこもり』推奨でも

「あ〜、私は人とあってないとダメなの〜〜〜」と言う人は

「自粛がつらい自分はダメ人間だ」とか思わなくてもいい。

危ないので、やっぱり人に会うのは我慢だ。そこは、命に関わるから。

でも

「あ〜〜〜〜、みんなと騒ぎたいよ〜〜〜〜〜」

「バーチャルじゃやだよ〜〜〜〜〜」

「ぬくもりほしい〜〜〜〜〜」

思っていいし、そりゃ思うでしょう。

そう、ぐちったり、リモートで会合に参加したり、同じ心を持つ人たちと(リモートで)わいわいするのはいいと思う。

 

 

世の中が『こうしなければいけない』と言う時

全員がオッケーなことってほとんどない。

必ずはみ出る人が出てくる。

 

そういう時に全員を「合わせよう」「合わせなければならない」とすると

自分の大事なものが、守れなくなったりする。

自分が、壊れてしまうかもしれない。

 

 

第一

今言われている

『人と距離を取ろう』というのは

状況だけで

心の距離は含まれていない。

 

実際の距離は離れても、心を近づけることは可能なはずだ。

 

 

・・・・・・

 

などと

久しぶりに文章を書いていたら

長くなっちゃった。

 

 

 

 

トリミングいきたての

かっこいい犬の写真で終わります。