一条さゆり 濡れた欲情 | 映画プログレ桜田淳子

映画プログレ桜田淳子

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監督:神代辰巳 1972年

実在のストリッパー、一条さゆりの現役引退に至る日々を、本人の出演も交えて描くロマンポルノ作品。

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当然、一条さゆりをリアルタイムでほぼ知らない。「一条さゆりの真実 -虚実のはざまを生きた女」も読んだことも無い。それでも、伝説のストリッパー、10回にのぼる公然猥褻物陳列罪による逮捕、引退興行での逮捕、反権力の象徴、11PMでのレギュラー出演、極端な虚言癖、晩年の釜ヶ崎での三畳一間暮らし…といった彼女の断片を知るにつけ、その人物像に興味をそそられる。さらに、ストリッパーを引退して裁判継続中の本人が本人役で出演する、こんな映画が作られてしまう一条さゆりとはナニモノなのかと、興味をいっそう掻き立てられる。

そして、そんな興味深いオンナを描く本作は傑作であった。

本人が演じるストリッパー一条さゆりと対比的に登場する若いストリッパー(伊佐山ひろ子)は、何やかやと一条さゆり(しつこいようだが本人が演じている)に突っかかる。その突っかかりを一条さゆりにあしらわせることで、演出は、一条さゆりの本性をあぶり出そうとする。かと思えば、その伊佐山ひろ子演じる若いストリッパー自身もまた、虚言癖があったり公然猥褻物陳列罪で繰り返し逮捕されたりする。つまり、この若いストリッパーは一条さゆりの分身。彼女によって、過去の一条さゆりの真実もまた暴かれてゆく。かと思えば、ストリッパーを引退して寿司屋で働きながら公判や判決を待つ、少し未来方向にズレた時間軸(映画制作時と同じ時間軸)にもまた、一条さゆり本人が演じる一条さゆりが登場したりする。そしてここでは、「ストリッパーふぜいかテレビ出演なんぞしやがって、偉そうに」という、この時期の一条さゆりに実際に浴びせかけられたに違いない雑言を、芝居の中でも本人に浴びせかけ、それに返答させることで、一条さゆりの素をさらけ出そうとする。

つまり、本作には3人の一条さゆり(本人が演じるストリッパー一条さゆり、伊佐山ひろ子が演じる若いストリッパー、本人が演じる引退直後の寿司屋の女将一条さゆり)が登場し、3方向から一条さゆりを解剖しようとしているのだ。何たる複雑な設定。何たる虚実の同舟。映画全体を貫く反体制反権力の姿勢もさることながら、きっかけは一条さゆりの心もとない演技と心中するわけにはいかないという危機回避のためだったかもしれないが、虚を通じて実を暴き出そうとする監督の手腕には舌を巻く。

そして毎度のことながら、この時代の映像には無条件で心惹かれる。現在に比べると汚れていて不揃いで非制御で無秩序な街並みからは、だからこそ、誰もが街や社会や生活をカスタマイズできるような自由を感じる。一条さゆりのような人格も、そんなケイオスティックで自由な時代だったからこそ出現しえたのではないかと思う。