百円の恋 | 映画プログレ桜田淳子

映画プログレ桜田淳子

タイトルのテーマを中心に、好きなものを書き綴ります

監督:武正晴 2014年

ダメダメ30女(安藤サクラ)がボクシングを始め、遂にはリングに立つが…というお話。


早めに映画館に着いたのでロビーで開演を待っていた。やがて、ひとつ前の上映回が終了し、ドアから大量の(おそらくは満席に近い数の)観客が吐き出されて来た。その多くは女性客であったのだが、私には、全員が安藤サクラに見えた。すなわち、彼女等が皆、安藤サクラになりきっているように見えたのである。

その昔、「昭和残侠伝」を観た後の観客は、思わず健さんの真似をして肩をいからせながら映画館から出てきたと言われる。「燃えよドラゴン」を観た後の観客は、ブルース・リーさながらに眉間に皺を寄せ劇場を後にしたと言われる。もちろん、私にも同様の経験はある。そして、本作を観てドアから出てきた女性観客が
安藤サクラにそっくりだったのも、8割方は健さんやリーの場合と同じ現象であると思われる。

だが、残り2割は違う。健さんやリーになりきっていた男どもと、安藤サクラになりきっていた女どもは、何かが異なっているような気がする。

僕らは、ドスを抜いて義を貫くヤクザにはなれないし、ヌンチャクを振り回して悪を倒すカンフーの達人にもなれない。だから、憧れる。だから、いつもは下を向いて歩いていても、映画館を出たときは胸を張って顔を上げて堂々と歩く。そして、その姿は、作品を観ていない者の目には、少なからず滑稽に映ったに違いない。一方、本作を観た女性客は、一様に猫背でうつむき加減で上目遣いだった。「胸を張って堂々と」というには程遠く、体には覇気が無く、ただ、目力だけが強かった。その姿は、似てもいないのに健さんやリーになりきる男どもとは違い、まさしく安藤サクラそのものであった。だから、全く滑稽だなどとは思わなかった。

おそらく、女性客は強い憧れから安藤サクラになりきったのではあるまい。強い共感を覚えたから、安藤サクラになってしまったのだ。いや、強い共感を覚えたから、安藤サクラに憑依されてしまった、と言った方が正確かもしれない。これが残り2割の正体だと思う。強い憧れを抱くことによって、対象に憑依してしまう男どもに対し、強い共感を抱くことによって、対象に憑依されてしまう女ども。まあ、男女の特質の違いとして一般化するのはいささか乱暴なので、これ以上の深入りは避けるが、少なくとも、そこまで激しく女性客を共感させてしまった安藤サクラの演技力は、空恐ろしいというほかはない。

どっぷりブルースで、バシバシの剛速球な、大傑作であった。