Hi everyone!
お元気ですか?
日本に行くまであと2日に迫り、不安でしょうがない私。3週間も家を空けるのは初めてなので、し忘れたことがあるようで落ち着かないから、ノリちゃんが来る前に洗ったばかりだけど、またシーツやタオルなどの洗濯をしていたら長男から電話。
「グランマの服のサイズってマミイと同じ?」
「いや、マミイより大きいよ」
何なんだろうと思っていたら、お土産を持ってきました。
母にはヒートテック。
私にはなぜか整腸用のサプリ。
でも気持ちが嬉しい。
せっかくだからランチに行こうと誘ったら、先日行ったフィリピン系アジアンスーパー「シーフードシティ」のヌードルが食べたいと。
慌てて洗濯し終わったばかりのシーツでベッドメイクをして行ったら、すでに長男はオーダーも支払いも済んだあと。
なのでおかーさんは並びのグリルシティで、追加を購入。チキンも美味しいけどポーズもイケたバーベキューポークと、
でもうひと品、長男が好きだというのがコレ。
これに酢を入れて食べるのだとか。
「でもさ、普通にポークをソテーした時に出る血とこれとどう違うの?」
と聞いた長男の返事がすごかった。
「豚の血を別に買うねん。ミートコーナーで豚の血だけ売ってる」
私もいかの塩辛が大好きだから人のこと言えないけれど、豚の血を売ってると事実はやっぱり引いてしまった。物は試しでほんの少しだけ舐めてみたけど、私の場合は先入観が強すぎて生臭いとしか思わなかったっす。
長男が、
「マミイは知らんと思うけど、高校の時にラップでこんなのがあって。このオリジナルって日本人の歌やってんで」
と口ずさんだのは、なんと「上を向いて歩こう」のメロディー。
なんで知らんと思うのん?
知ってますがな。
坂本九の「上を向いて歩こう」が世界を圧巻したのは1963年だとか。
だから私もオンタイムで知っているわけじゃない。でも九ちゃんがテレビでこの歌を歌っていたのは覚えてます。
この年、全米ビルボードで3週間連続1位に輝き、年間ランキングでも10位。全豪、カナダ、ノルウェーでも1位。ドイツでは2位。全英6位。
後にも先にも、これほど全世界でヒットした日本語の歌はありません。
一度主人に聞いたことがありました。
「なんで歌詞の意味もわかれへんのにそんなにヒットしたん?」
すると主人は、
「メロディーがエエやんか。意味はわからんかったけど、あのメロディーに皆んな惹かれてん」
それから何回、何人のアーティストによってリメイクされてきたことか。まさに名曲のお手本ですよね。
九ちゃんが御巣鷹の尾根に散った時、私は長男を妊娠中でした。
まだ妊娠3カ月でつわりはキツいし、何より結婚してハワイに移住したばかり。主人以外に知り合いもいなくて心細いし、ホームシックで寂しいし、という毎日。
今は取り壊されてしまったけれど、当時ワードウェアハウスというショッピングモールに、コーヒーワークスというお店がありました。
まだスタバもない時代。日本の喫茶店のようにちょっとお茶する場所もなかった時代に、コーヒーワークスはつい懐かしい日本を思い起こしてくれるコーヒーハウスでした。
それで毎日のようにコーヒーワークスまで足を延ばして、ひとりでお茶をしていました。その時間だけがふと日本にいた頃の自分に戻れる唯一の心の拠り所だったのです。
あれはハワイでも特に暑い日でした。
いつものようにコーヒーワークスに入ろうとして、ふと入り口にある新聞スタンドに積まれたホノルルブレティンの第一面が目に止まりました。
大きく「Japan Airlines」の文字が目に入り、慌てて1部を手に取って購入しました。
ハワイでJAPANの文字を見るのも初めてなら、新聞を買ったのもそれが初めてでした。
当然まだインターネットもない時代です。紅茶を飲みながら、私は懐かしさと衝撃でむさぼるように記事を読みました。
1985年に渡米して以来、日本でも数々の大事件や大惨事があったけれど、この日航機墜落事件ほど心に残っている事件はありません。
その昔ならケネディ暗殺、今世紀なら911が、ニュースを知った時に自分がどこで何をしていたか覚えている大事件といわれています。
私にとっては、日航機墜落事件もそのひとつ。それは慣れないハワイの生活で、つわりを抱えて日々心が折れそうだった時に「Japan」の文字を見つけたからかもしれません。
たったそれだけのことで、懐かしさのあまり私は泣きそうになったのでした。でもそれが多くの犠牲者を出した世紀の大惨事で、その中にアメリカでも有名だった九ちゃんもいたと知って、どう事故と向き合えばいいのかわからなかった。
あの日以来、九ちゃんと奥様の柏木由紀子さんが、なぜかずっと心のどこかに住み着いています。
主人が亡くなって、未だにメソメソしている私。振り返ると最もショックだったのは、天国に行った時でも最悪の悪性だと聞かされた時でもなく、一番初めに主人の脳に腫瘍が見つかったと知らされた時でした。
それからもショックの連続だったけど、あの日以降は、どれも幾ばくかの覚悟ができていたから。最悪である可能性も否定できないと論理的に理解できたから。
でも腫瘍が見つかった時のショックは、まったく隙をつかれたもの。丸腰でいるところを後ろから斬りつけられたようなものでした。
それだけでもあんなに動揺したのに、それが朝「いってらっしゃい」と笑顔で送り出した人が帰らぬ人になったらいったいどれほどの衝撃だったのか。
どうやって愛する人がいなくなったという事実を受け入れたのか。
私には想像もできません。
今私が「上を向いて歩こう」を口ずさんでも涙がハラハラとこぼれるのに、由紀子さんなら何度ご主人の歌声を聴きながら泣き崩れられたのだろうと、つい思いを馳せてしまいます。
主人が逝ってまた何気に九ちゃんご夫妻のことを思い出していた時に、長男がまたその話を持ち出したのも、不思議な巡り合わせです。
先日、由紀子さんがパリに行かれた時のブログを拝見しました。48年前の新婚旅行の写真がうっとりするくらい微笑ましくってステキで。
思わず長男に見せました。
「でね、これが今の由紀子さん。今でもすっごく綺麗やねんで」
「ホンマや。綺麗やね」
あの夏の日から33年。あの時お腹にいた子が、日本に行くならと整腸サプリを持って来て、グランマに手土産まで用意してくれて。
今日も感謝の気持ちでいっぱいです。
私も日本に帰ったら、せいぜい親孝行の真似事でもしてこよう。
では、お元気で。
Have a nice day!
よかったら、ポチしていただけると嬉しいです。
人気ブログランキング