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うっわあ
ほんとに細いんですけど
そして現役の井戸を発見
右に左にと曲がりくねった道を
歩くとその先に目的地がありました
さてここは何処かわかりますか
中央義士会のボランティアさんが
渡してくださったちらしに拠れば
『大石内蔵助らの切腹地 旧細川邸』
東京都指定旧跡
『大石良雄外十六人忠烈の跡』
元禄16年(1703)2月4日午後2時
上使の御目付荒木十左衞門政羽と
御使番久永内記信豊から切腹の申渡しを受け
大石内蔵助が一同を代表して
『切腹仰せ付けられ候段
有り難き仕合に存じ奉り候』
と礼を述べられたそうですが
切腹の場所は大書院舞台側
大書院上の間の前庭で
背後に池を負った位置だったそうです
自刃せる義士左の如し
年齢は十七才から七十七才まで
中央義士会のボランティアの方の
曲がりくねった道々の誘導と
丁寧でわかりやすい解説で
まるで切腹の現場に居合わせたような
緊張感と臨場感を
味あわせていただきましたが
(以上2021年12月11日(土)撮影)
細川家は義士たちが切腹した後も
邸のお祓いをしていないそうです
何故なら彼らの御霊を
邸の守り神としたというのです
そんな経緯からここ切腹の地は
都内屈指の隠れたパワースポットとも
言われているそうですが
今日のおまけはNHKの『歴史探偵』
ご覧になられた方も
いらっしゃると思いますが
先日『忠臣蔵』が取り上げられていて
クリニックで開かれた高輪講談会で
赤穂浪士討入りを披露してくださった
神田鯉風師匠がご出演されていましたが
歴史探偵的にはこの事件
世紀の『劇場型』事件だというのですが
場所的にも警備上も一等地の
江戸城近くにあった吉良邸を
敢えて遠方の転地を命じて
その間浅野内匠頭の事件で世間は
ツイッターならぬ川柳で囃し
吉良邸での討入りが果たされ
泉岳寺までのなんと13Kmの道のりを
おそらく血だらけで歩いたと思われますが
札の辻のお役人は
咎めるでもなくお茶を出し
ご苦労であったと労ったという
吉良を快く思わなかった
幕府の仕立てた
大舞台だったのでしょうか
なんていう歴史のミステリーを
考えてると眠れなくなっちゃいますね
地下鉄が何処から地下に潜ったのか
考えてると眠れなくなっちゃったのは
三球照代さんでしたね
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地下鉄で迷ったことある?
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