ローマ貴族のファルネーゼ。

チェーザレ・ボルジアのお父さん、

ローマ法王アレッサンドロ6世の愛人だったといわれる絶世の美女、

ジュリア・ファルネーゼが有名ですね。

 

ファルネーゼ家はブラッチャーノ周辺にも領地を持っていました。

大きな岩山を掘って造った円形競技場のあるスートリもそのひとつ。

穴場の中の穴場?ブラッチャーノ近郊の小さな町スートリ

http://ameblo.jp/yumitomo-roma/entry-12189845488.html

 

お客さまと一緒に、今度は別の町にあるファルネーゼ家のお屋敷に行ってきました。



 

ラツィオ州ヴィテルボ県カプラローラです。

ブラッチャーノからならクルマで小1時間ぐらい。

今ではおそろしく鄙びた小さな町なんですが、

こーんな立派なファルネーゼ家のお屋敷が残っています。




中庭付きの五角形プラン。

中庭を取り囲むように作られた回廊の内側には、

美しいフレスコ画がぎっしり描かれています。

すき間がないくらいなんですー!

 

 

ジュリア・ファルネーゼのお兄さん、アレッサンドロ・ファルネーゼの肝いりで始まったこの建築。

彼は1534年にはローマ法王パオロ3世になります。

 

ファルネーゼ宮殿はカプラローラの守りの拠点&住居として企画されたそうです。

建築家はアントニオ・ダ・サンガッロ、ローマ市内にも多くの有名建築物を残してます。

ローマにあるファルネーゼ宮殿も彼の設計だそうです。


 

1530年からスタートした建築工事ですが、

1546年、このサンガッロの死によって中断されます。

16年かけても完成しなかったんですねぇ滝汗
1549年には、パオロ3世も亡くなります。




1559年、パオロ3世の孫であるアレッサンドロ・ファルネーゼ

(↑同じ名前を引き継がせないでほしい笑い泣きややこしい)

このカプラローラのお屋敷の建築を再開させます。

ちなみに孫のアレッサンドロは枢機卿止まりでしたチーン

 

今度の建築家は、ジャコボ・バロッツィ・ダ・ヴィニョラ

ミケランジェロが亡くなったあと、サン・ピエトロ大聖堂の建築を引き継いだ建築家だそうです。

あと、ジェズ教会もサンガッロ作。

日本で布教した、あのザビエルの右腕が眠る教会です。

ローマのジェズ教会でスゴいものを観た!

日本の守護聖人ザビエルの右腕が眠るローマのジェズ教会

 

 

 

1階の回廊には、カプラローラ周辺に領地をもつ貴族の紋章と領地の名前がありました。

ブラッチャーノのオルシーニ家の紋章も!

 

この複雑な紋章はどこのでしょうねぇ。

町の名前が消えてしまっていてそこから推測することもできず。

オルシーニ家とファルネーゼ家とあともういくつかの家との婚姻が重なってるっぽいんだけど。。。

 

ヴィニョラは、当初のサンガッロの要塞建築のようなプランを排除し、

ルネッサンススタイルの夏の宮殿を意識した建築に変更したそうです。

部屋の一つ一つが素晴らしかったので写真撮りまくり笑い泣き

中の様子はまたの機会に……。

 

【追記】

中の様子、というか、螺旋階段のことばかりですけど良かったらどうぞ↓

 

 

 

 

 

 

Mi fa tanto piacere venirci questa pagina, grazie爆  笑

最後までお読みいただきありがとうございますウインク

ローマ貴族のファルネーゼ。

チェーザレ・ボルジアのお父さん、

ローマ法王アレッサンドロ6世の愛人だったといわれる絶世の美女、

ジュリア・ファルネーゼが有名ですね。

 

ファルネーゼ家はブラッチャーノ周辺にも領地を持っていました。

大きな岩山を掘って造った円形競技場のあるスートリもそのひとつ。

穴場の中の穴場?ブラッチャーノ近郊の小さな町スートリ

http://ameblo.jp/yumitomo-roma/entry-12189845488.html

 

お客さまと一緒に、今度は別の町にあるファルネーゼ家のお屋敷に行ってきました。



 

ラツィオ州ヴィテルボ県カプラローラです。

ブラッチャーノからならクルマで小1時間ぐらい。

今ではおそろしく鄙びた小さな町なんですが、

こーんな立派なファルネーゼ家のお屋敷が残っています。




中庭付きの五角形プラン。

中庭を取り囲むように作られた回廊の内側には、

美しいフレスコ画がぎっしり描かれています。

すき間がないくらいなんですー!

 

 

ジュリア・ファルネーゼのお兄さん、アレッサンドロ・ファルネーゼの肝いりで始まったこの建築。

彼は1534年にはローマ法王パオロ3世になります。

 

ファルネーゼ宮殿はカプラローラの守りの拠点&住居として企画されたそうです。

建築家はアントニオ・ダ・サンガッロ、ローマ市内にも多くの有名建築物を残してます。

ローマにあるファルネーゼ宮殿も彼の設計だそうです。


 

1530年からスタートした建築工事ですが、

1546年、このサンガッロの死によって中断されます。

16年かけても完成しなかったんですねぇ滝汗
1549年には、パオロ3世も亡くなります。




1559年、パオロ3世の孫であるアレッサンドロ・ファルネーゼ

(↑同じ名前を引き継がせないでほしい笑い泣きややこしい)

このカプラローラのお屋敷の建築を再開させます。

ちなみに孫のアレッサンドロは枢機卿止まりでしたチーン

 

今度の建築家は、ジャコボ・バロッツィ・ダ・ヴィニョラ

ミケランジェロが亡くなったあと、サン・ピエトロ大聖堂の建築を引き継いだ建築家だそうです。

あと、ジェズ教会もサンガッロ作。

日本で布教した、あのザビエルの右腕が眠る教会です。

ローマのジェズ教会でスゴいものを観た!

日本の守護聖人ザビエルの右腕が眠るローマのジェズ教会

 

 

 

1階の回廊には、カプラローラ周辺に領地をもつ貴族の紋章と領地の名前がありました。

ブラッチャーノのオルシーニ家の紋章も!

 

この複雑な紋章はどこのでしょうねぇ。

町の名前が消えてしまっていてそこから推測することもできず。

オルシーニ家とファルネーゼ家とあともういくつかの家との婚姻が重なってるっぽいんだけど。。。

 

ヴィニョラは、当初のサンガッロの要塞建築のようなプランを排除し、

ルネッサンススタイルの夏の宮殿を意識した建築に変更したそうです。

部屋の一つ一つが素晴らしかったので写真撮りまくり笑い泣き

中の様子はまたの機会に……。

 

【追記】

中の様子、というか、螺旋階段のことばかりですけど良かったらどうぞ↓

 

 

 

 

 

 

Mi fa tanto piacere venirci questa pagina, grazie爆  笑

最後までお読みいただきありがとうございますウインク