昭和の代表は東京オリンピック
私は昭和の人間です。
はい、昭和ガールです(笑)
1964年(昭和39年2月)生まれです。
若い頃、年配のかたに生年月日を聞かれて
生まれた年を言うたびに
東京オリンピックの年だね
と嬉しそうに言われていました。
※この頃はテレビがあるうちも少ないし
あっても白黒です。
このイラストは昭和ではありません(笑)
当時、東京オリンピックは
敗戦から立ち上がった日本が
高度成長期に入るきっかけともなった
最高に盛り上がりの大大大イベント
だったんでしょうね。
しかし、その年に生まれた私は
もちろん覚えているはずもなく
東京オリンピックの年だね!
と言われるたびに
はぁ・・・
(心の声:そうらしいですね)
という返事しか出来ませんでした。
そして、最近始まった
「不適切にもほどがある」
というドラマを見ていると
いかに、昭和の人間にとって
現代が生きにくいかが
とてもよくわかります。
本当にこのドラマ面白いよ
昭和名物★頑固おやじ(笑)
昔は頑固おやじっていましたよね。
波平さんみたいな。
子供が野球をやっていて
ボールが窓ガラスを割ってしまうと
「ぐぉらぁぁぁ」
と出てきてたよね😅
サザエさんのマンガでも
柿の木を盗もうとする子に
雷を落とすとかね。
もはや
雷を落とす
なんていう表現も今はないか
今、そんな親父がいたら
モラハラだのパワハラだのと言われ
もう、それは犯罪者扱いです
昭和の熱血教師![炎](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/110.png)
私の中学生時代は
竹刀を持った先生がいました。
暴れん坊がいるとお尻を叩かれます。
もしくは、正坐の刑です
主に悪ぶった男の子が
処罰されます
でも、それによって悪行が減っていたし
それで親が学校に怒鳴りこんで来るわけもなく
うちの悪ガキにお説教してくれて
ありがとうございます
くらいな感じだったのではないかな。
もちろん、そんなことを令和でやったら
速攻でPTAに叩かれるし
親も怒鳴りこみにくるのでしょうね。
昭和は、そんな一見乱暴な先生でも
卒業した後は妙に懐かしく
全然嫌いじゃなかったけどな。
悪いことはいけないことなんだよ
と教えているだけなんだけどね。
当時のアニメでも
巨人の星
のちゃぶ台返しがあったり
アタックナンバーワン
の歌詞なんて
「苦しくったって悲しくったって
コートの中では平気なの。」
もう勝負は「辛い、苦しい」が
当たり前の世界。
その先に勝利がある!
みたいな教えでしたね。
飴と飴
今はどうでしょう。
飴と鞭
という言葉がありますが
今は、
飴と飴
のようです。
下記は知り合いのスキー場でコーチを
している知人(昭和男子)に聞いた話です。
女子高生の3泊のスキー教室を
担当した時のこと。
とにかく、褒めて褒めて褒めまくっているそうです。
疲れた?
休憩にしよう。
え、まだ疲れてる?
じゃあもう少し休もう。
いいね、その調子。
じゃあもう少し滑ってみようか。
こんな感じだそうです
彼は他のスポーツでも指導をしていて
昔はそれこそ竹刀を持っていたそう。
今はこんな感じなんだよ。
と言っていました。
今はなにかやったら、
すぐ犯罪になっちゃうからね。と
でも、その女子高生は
とっても楽しく過ごせたらしく
また来たいです。
と言っていたそうです。
厳しい指導では
滑ることができても
楽しい思い出は残らず
辛かった思いしか残らない。
だけど、褒めてもらえれば
楽しかった、褒めてもらえた♪
という思いが残る!
子供だって大人だって
承認欲求があるということです。
誰だって褒めてもらいたいもんね
昭和人間は、他人を自分に合わせるのではなく
この時代に合わせないと
生きづらいよね。
だから、昭和ガールが
平成生まれの子供を育てるのも
そりゃ大変なわけですよね。
お母さんの子供の頃は・・・
って言いたくなっちゃうもんね。
昭和ガールの皆さん
ジェネレーションギャップを乗り越えて
子育てしてくださいね。
今は、なにごともゆるいほうが
良いようですよ。
そんなんでいいのー?
くらいで・・・
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