朝から重い話かなぁ | みけねこの癌闘病&介護日記〜Tomorrow is another day.〜

みけねこの癌闘病&介護日記〜Tomorrow is another day.〜

大腸癌が発見されて以来、私の人生感・死生観が変わり始めました。
癌サバイバーになり、自身の闘病記として 同じ病気の方に少しでも役に立ちたい思いからブログを始めました。合わせて認知症の母親の介護も記録していきます。

母親とは同級生の近所のおばちゃん。
今は入所してて居ません。
おばちゃんには一人息子がいて
私と同級生。
私が産まれた頃から、ず〜と可愛がってくれた。
その おばちゃんが、ある宗教←怪しくない
入ってて、冊子や新聞を母親に渡してた。
入所後も別の人が、わざわざポストに。

我が家は熱心な仏教徒ではない。
だが、ミーハーな私は目を通してた。

たまに「これは!!」目を引く言葉とかあって
切り抜いて置くことも。


ここから、長くなるが重い話。


その冊子によると、2月は涅槃会の月らしい。
釈尊ご入滅の2月15日に、仏教徒がそのお徳をたたえ、仏の教えの学びを深める日だそう。

熱心な仏教徒じゃないので、何処かのお寺でデッカイ涅槃絵は見たことはあっても
意味は無関心だった。


釈尊は自分の「死」を通して私たちに
「生きとし生けるものは、みな、いつか必ず死を迎える」という実相を示された。

生きることと死ぬことは、ワンセット。
生があり、死があってこそ「命」

ところが、私たちは その一方の「死」をなかなか受け入れられない。
恐ろしくて、避けて通りたいと思う。

だからこそ釈尊は「お前も死ぬぞ」と
身をもって語ったというものらしい。


また釈尊は、それ以外にも
人として この世に生まれ、生きる意味をも教えてると。
ただ、死ぬためだけに生まれてきた人は
一人もいないと。


ここからは、理解し難い話。


身近な人や家族、あるいは自分が
病気したり、亡くなったりするのは
本当に辛く悲しいこと。
それを心底味わうと、真実を見る目が開かれる。
それは、苦しみ悲しみ辛さ そのものが
救いの糸口になる。
ここでの救いとは
たとえ人生のドン底でも、そこに生きる意味や生きがいを見出し、前向きな力に変えていく。

また、これを書いた方は、こうも言ってる。
精神科医でナチスの強制収容所体験で知られるV・E・フランクルは
「人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない」と。


5年前に肺癌と胃癌で亡くなった父親。
弟を同じ肺癌で苦しんで亡くなったのを見た。
自分も苦しんで死ぬことを恐れてたが
とても安らかな死だった。

その場に居て、安らかな死を経験したからか
今のところは死は怖くない。
身近に死が迫ってないからだろう。
それと、死にたくても死ねない辛さを経験してることもあるのかも知れない。
それでも、父親を通して
誰にでも死が訪れることは解った。
どんな死に様になるかは解らないが…

もう一つの生きる意味は
私に稼がれた母親の介護かも知れない。

偉そうなことを、ダラダラと書いたが
日々ぐうたらに過ごしている。

でも、毎日の終わりに母親とお経を唱える時は
自分と向き合い安らかになれる。

あの世の暮らしは知らないが
この世は修行の場なのかも知れない。