あの日から3年の昨日。
14:46 の黙祷の後、追悼演奏。
東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私には災害の経験がありません。どれほどの恐ろしさなのか想像できません。
そんな私にとってのこの3年、私なりに想いの層は厚いと思います。少なくとも、震災以前の人生と比較して…
天災が起きてしまったら、演奏家という職業がどれほど無意味なものであるか…。ピアノなど弾いていたって何の役にも立たない…。
ここから始まりました。
震災から3年。ピアノへの取り組みをふり返ります。
「自分のできることをやる」
それが大切だと思うようになり、私なりに考えながら歩き始めたのが震災後1ヶ月の頃。
ピアノに関していえば、それまでの「演奏技術を磨くため、演奏表現を広げるため」の練習目的からだんだん勉強方法が変わっていった。
何かを常に求めながら。だけど、何であるかは全くわからなかった。
「音楽を通してメッセージを伝える」
これが演奏家の役割だと思っていました。もちろん、今でもそうだと思います。
しかし、順序を間違えれば演奏は全く違うものになるのだと気づいたのもこの3年。
誰のための演奏か?
聴衆のみなさんに喜んでいただきたいから? 幸せを感じていただきたいから?
これら決して間違ってはいない。だけど…何かが違う。私が求めている正体不明なものはこういうものではないことだけは確かだった。
目標のひとつ「心が伝わる演奏」のための方法を求めることで、意外にも「誰かのために弾きたい」から「自分のために弾きたい」へと変化してきました。
つまり、一番に自分に正直になることだと気づきました。
なぜなら、自分の中から発信するものは自分の脳内に意識的にも無意識的にもあるもの、心が伝わる演奏に少なくとも偽りは存在しないとなんとなく悟ったからです。
今では「演奏」だけでなく「言葉」、さらには「立ち居振る舞い」は、心の翻訳手段だと思っています。
自分の中にあるものを実体化していく。いかに今の自分がしっくりする語彙や音色を見つけられるか。
きっと大切なことでしょう。しかし逐語的である必要はない。ぴったりする表現が飛び出してくればOKなんです。
そういうものの大切さに気づき学んだ3年でもありました。
きっとこれからもどんどん変わっていくでしょうし、生涯勉強なんだなって思います。
発信元の自分自身がどうであるかが大事で、そのために経験や勉強を重ねていく。「今」の自分以上にはなれないし、無理して良く見せようとする必要もありません。
これが一表現者としてできることのひとつではないかと私は思います。
まだまだ理想の部分もあるけど、ピアノを通してクラシック音楽に助けられていることに感謝したいと思います。
そういう心で純粋に演奏ができるようになれば(今はまだまだ邪念ばかり…)という憧れをもっています。
これが私にできるかもしれない唯一のこと。
引き続き、自分のやるべきことをしっかりやっていこうと心新たにしました。
つづく…
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♪♪2014年コンサート情報♪♪
【佐藤由美ピアノリサイタル】
日時:2014年11月11日(火)18:30開場 / 19:00開演
場所:電気文化会館ザ・コンサートホール
<プログラム>
モーツァルト:ピアノソナタ ハ長調 KV279
ラヴェル:夜のガスパール
ショパン:スケルツォ 第4番 ホ長調 Op.54
リスト:ピアノソナタ ロ短調
詳細については調整中。