ちょっと時間をおいたので落ちつきを取り戻しました。😅
さて、「アイダよ、何処へ」ボスニア紛争がテーマの映画でしたが、考えさせられることがたくさんありました。
主人公のアイダの瞳は不安、恐怖、悲しみ、絶望、憎しみ、強い決意、さまざまな感情を秘めていて、目を逸らすことができないほどでした。
今でも世界中で紛争は起きていて、民族、宗教、思想の違いから人々が争っています。
ボスニア紛争については以前ブログを書くにあたり少し勉強したこと、2014〜2015年の1年間モンテネグロで生活し、2016年に旅行としてモンテネグロ 、ボスニアを訪れたことで思い入れがありました。
1992〜1995年。自分は学生で、本来なら世界で起きている事にもう少し目を向けていなければならない中、NATOがどこかの国を空爆したことをうっすら覚えているだけでした。
映画の感想コメントを読む中で、当時は全然知らなかったというものが多く、やはり日本では関心を持ち心を寄せる人は多くはなかったのかもしれません。
もちろん、ニュースではやっていたことですし、当然知っていて心を痛めていた方も多いでしょう。
今になり何も知らずにいた自分が情けなくもあり、何も知らずにモンテネグロで生活していた自分が恥ずかしくもあります。
2014年、モンテネグロで生活を始めてすぐにセルビアのベオグラードを訪れ、NATOの空爆の跡を見ました。
ですが、当時のバルカン半島の惨劇を深く考えることはありませんでした。
写真を撮っただけ。
この時もっと勉強して考えておくべきだったと後悔しています。
少し学ぶ気になったのは帰国して1年を経て、その後旅行として再びモンテネグロ 、ボスニアを訪れてその事をブログで書いてみようと思ってからです。
2014〜2015年当時もっと知っていたら、訪れるべきだった場所がたくさんあったはずです。
それは悔やまれます。
民族、宗教が違う人々が暮らすモザイク国家のバルカンの国々。
過去に起こった紛争の傷は今なお癒えではいないでしょうし、癒える日が来ることはないのかもしれません。
映画のラストは、民族紛争によって過去から引き継がれる悲しみと憎しみ、その連鎖を断ち切ろうと未来へ向けた希望が交差する主人公の表情が印象的でした。
民族間の紛争。虐殺は忘れてしまいたいような辛い出来事です。
しかし、歴史の中に埋もれて再び繰り返されることがあってはならない。
だから忘れてはいけない事でもあります。
これは、日本への原子爆弾投下もそう。
ホロコーストもそう。
世界中で起きた、起きている、忘れてしまいたいような辛い出来事は繰り返さないためにも忘れてはいけない事でもあったりします。
そんな葛藤の中で生きているバルカンの人々に思いを寄せる機会を再びもらえた事に感謝して、今なお世界中で起きている紛争で犠牲になる人が出ない事を祈るばかりです。