「アイダよ、何処へ」を観てきました | モンテネグロな生活

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主人の赴任が決まってから地図を広げてみた私が、来てみて初めて知るモンテネグロという国を日々の生活を通してお伝えします

映画「アイダよ、何処へ」を観てきました。




ボスニア紛争末期、1995年にボスニア・ヘルツェゴビナで起きた大量虐殺、「スレブレニツァ・ジェノサイド」を扱った映画です。


インスタでバルカン半島の情報を扱うコミュニティをフォローしてますが、そのアカウントでこの映画の情報を知りました。


以前ブログで扱ったスレブレニツァのジェノサイド。

これは観ておかなくては‼︎と県内で唯一上映している小さな映画館へ足を運びました。


ボスニア紛争は1992年から95年までユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで続いた紛争です。

旧ユーゴスラビアからの独立を機にセルビア人(セルビア正教徒)、クロアチア人(カトリック教徒)、ボシュニャク人(イスラム教徒)という民族、宗教の違う人々が領土、政権をめぐり三つ巴の戦いになりました。



そんな中、1995年7月11日にスレブレニツァのジェノサイドは起こります。

史上最悪の虐殺といわれたホロコースト後では、「第二次世界大戦以来の欧州で最悪の虐殺」と言われ約8000人のボシュニャク人が虐殺されました。



以前の投稿の際にいろいろ調べたり本を読んだりしました。

被害にあったボシュニャク人の女性のドキュメンタリー映像も観ました。

ですが、今回の映画を観て、ボシュニャク人、国連保護軍、セルビア軍とのやり取りのシーンから当時ボスニアが世界から受けた扱いでどれほど絶望したかをイメージすることができました。


国連保護軍として派遣されていたオランダ軍はセルビア軍の蛮行を制止できず、NATOもセルビア軍拠点空撃を躊躇している間にスレブレニツァのジェノサイドは行われ多くの犠牲者がでたことが理解できました。



あらすじについてですが、ネタバレも含みます。

主人公はまるごと実在の人物ではありませんが、映画は史実に基づいたものなので、流れはお話しても大丈夫かと思います。


主人公はアイダ。

スレブレニツァに住んでいて、ご主人と20歳前後の長男ともうすぐ17歳になる次男の家族がいます。

彼女は国連保護軍(オランダ軍)の通訳として国際連合の施設で働いています。


ボスニア東部の街は次々にセルビア軍に制圧され、スレブレニツァは国際連合により「安全地帯」として、一切の攻撃を禁じられた場所に指定されます。

しかし、国際連合の通達を破りセルビア軍はスレブレニツァに侵攻します。

スレブレニツァのボシュニャク人達は街を追われ、国際連合の施設へと押し寄せますが、収容できる人数を遥かに超えた人々が押し寄せ、国連保護軍はやむなくゲートを閉めます。


締め出された家族を守るためにアイダが奔走する様が全編にわたり描かれています。


これは公式サイトにも載っている程度のあらすじです。


結末はスレブレニツァ・ジェノサイドのことを知っていたら想像つくかもしれませんね。

私も想像がついたので、先にコメントを見てから観にいきました。


すると、アイダの表情、特に目力に注目してほしいというコメントをいくつか見つけたので意識して観ました。


アイダを演じたのはセルビア生まれのヤスナ・ジュリチッチという女優さん。


紛争下で国連の通訳として勤務し、常に緊張を強いられるアイダの険しい目。




オランダ軍の要請にNATOはセルビア軍空撃を宣言するものの、一向に情勢は悪化するばかり。


詰め寄るスレブレニツァ市長にも煮え切らない態度のオランダ軍大佐。国連も動こうとはしない。

国連を信じていたアイダはそのやり取りを通訳するうちに次第に希望の光が消えて、焦りと不安の色が強くなっていくように感じました。


家族を失うかもしれない恐怖と必死に戦いながら何とか救いたいと奔走するアイダの姿は痛々しく、胸が苦しくなりました。


アイダの不安、焦り、苛立ち、気迫、恐怖、悲しみ、絶望、憎しみ、そして平和を願う強い気持ち、さまざまな思いがヤスナの迫真の演技によりまるで現場をそのまま見ているかのようで引き込まれました。


だから、引きずってます(TT)




興味がある方はぜひご覧になってください。



書きたいことはまだ山ほど。


また日を改めて。