ああなりたい、
こうなりたい、
ああいう風でありたい、
こうでありたい、
こういう人と結婚したい、
あの人が良い、
この人は嫌だ、、、、、
今日の祈りの中で、
ある像が、私の内で、一気に崩れたのを、
私は見ました。
それは、私の「理想像」でした。
そして、
私が求めていたもの全てが、それらと共に、
崩れ去ったのです。
あの人の様になりたいなとか、
あんな風に変わりたいなとか、
理想を思い描き、理想を追い求めるあまり、
気付けばそれが肥大化し、
偶像に成り代わっていたのでした。
そして、
神様だけを求めると言いながら、
そんな理想と言う名の偶像を追い求めていた事を悔い改めました。
その時、
「ねたみの神」と言う言葉が聞こえました。
そうしたら、私が求めていたもの全てが、
なくなったのです。
それで全てを悟りました。
肉の父よりも、
家族よりも、私は神様を慕ってはいなかったのだと言う事を。
神様を恋い慕うと言う事、
神様を慕い求めると言う事、
私は、出来ていると思って疑わなかったけれど、
間違っていました。
神様との関係が成立してこそ、
家族や隣人との関係が成立するのだという事を、
改めて悟りました。
ハレルヤ。
主の御名をほめたたえます。