ロベルトカプッチ(Roberto Capucci)
と多色づかい (U'utilizzo multicolore)
前回の続きです。
カプッチは26才(1956年)の時に「10着のスカート」のタイトルでデビューしました。石を投げ込んだ時にできる水面の波紋を眺めたことがキッカケだったそうです。文字通り時代の象徴となり、キャデラック(アメリカの車)の広告キャンペーンに選ばれました。
「10着のスカート」ロベルトカプッチのH.P.より
1958年に「ボックス・ライン」という作品を発表します。彼の哲学は、-衣服は女性のとっての住まいである。-というものであり、美術学校で「彫刻」を専門にしていたカプッチは大理石に彫刻するように服地を三次元化し衣服を作りあげました。
衣服(abito)という言葉と住まい(habitat)という言葉をつなぐ語源を常に意識し、彼が作った服は、ファンタスティックな(住まいーhaitat)だったのです。そしてその衣服(あびとーabito)は、住まわれる(アビタ―ティーabitati)ためにデザインされているのでした。
その年、カプッチ「ボックス・ライン」がボストンでファッション大賞を受賞しました。
当時、フランスの名だたるデザイナー(カルダン、クレージュ等)が参加していましたが、彼らは成熟した女性のプロポーションではなく、若い女性をモデルをしていたようです。
それに対して、カプッチのファッションは、ゆるぎない価値を持つ作品、芸術作品でした。
女性を迎え入れる為の芸術的な「包み」=「住まい」の純粋な創造と独創性が評価されたのです。
クリスチャン・ディオールから公式の賛辞がありました。「イタリアには一人、私が心から賞賛するデザイナーがいる。カプッチという名の男だ。」とパリに来るように促したそうです。
「ボックス・ライン」
©カプッチ財団フィレンツェにて 三本撮影
その後、彼は渡仏し、6年後にイタリアに帰ってきます。
イタリアでの10年は、新しい素材(ラフィア、砂利、麦藁、竹等)と特殊な高級生地の組み合わせをデザインしています。
一方、日本からの影響もあり下欄のデザインも発表しています。
①「兜の先の紐通し」からの発想か?
©カプッチ財団フィレンツェにて 三本撮影
② 「日本の帯」のイメージ
©カプッチ財団フィレンツェにて 三本撮影
③ 鎧をイメージしたワンピース
ロベルトカプッチのH.P.より
彼の考える色彩は衣服のうねりの中で―即ち、動きを通してその姿を現すー
つまり、配色を考える時、静止画で考えてはいないのである。
暖色に対する寒色も偶然に配置しているのではなく、色の位置を外側か内側かにもこだわって、着る当事者の衣服という包み全体の皮膚を作り上げている。
そして、下欄の中央をドレスのように動きの中で出現してくる色の組み合わせに注視しているのです。
ロベルトカプッチのH.P.より
彼の頭の中には「トレンド」と「流行」と言った言葉が存在しなません。彼の作品は、ファッションの領域でなく、芸術の領域に属しています。
「美」を永遠に追及し、自らの実験を推し進めていき、偉大なアーテイストの領域に到達しました。
皮肉なことに(年に2回の定期的な「オートクチュール」ファッションショーに参加しないにも拘わらず)、「オートクチュールのコンセプトにピッタリ当てはまる」として「現在ファッションの先駆者」と見なされ、また勿論「イタリアのハイファッション」の重要人物の為「メイド.イン.イタリー」の運動の先駆者ともいわれています。
参考文献:
〇 Roberto Capucci Creativita al di la del tempo 時代を超えた創造性
ジャンルーカ・バウアーノ イタリア貿易振興会
〇 Roberto Capucci art into fashion Dilys Bium
〇 Roberto Capucci a Palazzo Fortuny Skira,2009
〇 Fantasie geerriere (ロベルトカプッチと侍の間の絹物語)
Piacenti Asjemgreem,Chiristina 2008
〇 イタリア文化会館「ファッション」のテキストーLa stivale di Moda
〇 フィレンツェのロベルトカプッチ財団
〇 ロベルトカプッチのH.P.