イタリアのデザイナー(サルバトーレ・フェラガモ) | 色彩認定講師カラリスト三本由美子(Fiore Rosso)のブログ

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「色」に興味のある方、「イタリア」に興味のある方,イタリア語を学んでいるカラリストの立場で、「色」と「イタリア」に関する事柄を綴っていきたいと思います。
お伝えした記事でいづれかの、あるいは両者への興味が増して頂ければ幸いに存じます。

フェラガモ(Ferragamo) 

     と レインボー(L‘arcobaleno)

 

 サルバトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo,1898~1960)は、イタリア・ナポリ近郊の街「ポニート」に14人兄弟の11番目として生まれました。

幼少の頃に、近所の靴屋に通い、9歳の時に最初の靴を製作し、12歳の時に地元で自分の店を持ったという逸話があります。

 

 その後、19歳の時に、靴の製作に生かすことが出来る体の構造を勉強する為に、米国へ渡り、サウス・カルフォルニア大学で解剖学を専攻します。(その当時、既に靴職人として確かな技術を身につけていて、多くの無声映画スターの靴を修理したり、特注品を製作したりしていました。しかし、彼らの靴は、見た目こそ美しいものの、どちらかと言えば履き心地が悪かったのです。そこで、彼は人間の足の自然な動きと構造を理解する為に解剖学を学んだのでした。)

 

卒業後1914年には、オーダーメイドのお店をオープンさせます。

彼の巧みな技術で作られる靴は評判を呼び、ハリウッドスターの多く靴を手掛ける事となり、「スターの靴職人」と呼ばれる程の名声を得ます。

 

 しかし、イタリア・フィレンツェに拠点を移すことを決断し、トスカーナの優秀な靴職人60名ほどを集め、全ての工程を手作業で行う工房を1927年にオープンしました。

 

 ところが、1933年の世界的な大恐慌で一度倒産してしまいます。

 

 更に、1935年、ムッソリーニ独裁下のイタリアが、エチオピアを侵略したことで、国際連盟から、経済制裁をうけ、そのあおりで、靴の材料も不足してしまったのですが、フェラガモは、ワインのコルクを使ってウェッジヒールを考案したのでした。

   

         

 

  1938年には、アメリカの歌手で女優のジュディ・ガーランドの為にプラットフォームサンダル,通称「The Rainbow」を設計したのでした。この靴は、長編映画「オズの魔法使い」(1939年)で披露されたガーランドの代表曲「Over the Rainbow」へのオマージュだったのでした。

靴は、金のキッドスキンストラップでスエードで覆われたコルクの形をしたスラブ(厚い靴底)を使用して作られました。

 

 

 因みに、「虹」といえば、色彩学では、世界で初めて太陽光を分光したニュートンが思い出されます。

 

 17世紀後半、彼は下記のような実験を行いました。

暗室内の小さな穴から太陽光を導いて細い光線とし、それをプリズムに通してスクリーンに投影したところ、スクリーンに波長ごとに分かれた光が映しだされたのでした。この分光された光の帯をスペクトルと言います。スペクトルの色をニュートンは赤(伊:Rosso =ロッソ)、橙(伊:Arancio=アランチョ)、黄(伊:Giallo=ジャッロ),緑(伊:Verde=ヴェルデ)、青(伊:ブル=Blu)、藍(伊:Indaco=インダコ),青紫(伊:Viola=ヴィオラ)と呼び、これが虹を七色とする由来となりました。

                              

                        

                                                                 photoacより

 

 

 実は、フェラガモはデザイナーというより発明家だったのでした。  そのお話は次回に。

 

 

参考文献:

・サルバトーレ・フェラガモのWikipedia

・aft色彩検定 公式テキスト 3級編    色彩検定協会