ひだまりと自愛に包まれて

今、ここに生きる。

 

 

 

自分を許し、癒し

ラクに生きるお手伝いをします。

 

 

 

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心理カウンセラー

ゆみっち、こと林由美です。

 

 

 


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心理カウンセラー
心屋入門認定講師

「エデンの森」認定講師

不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表
 

   


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いつのブログだったか

忘れちゃったのですが

 

 

 

 

私は、

自分の脳内よりも、

自分の気持ちよりも、

 

 

 

 

自分の体の方を信用してる、という

ブログを書いたことがあります。

 

 

 

 

体のサインや

(食欲、睡眠、肌荒れ、肩こり、下痢など)

 

 

 

 

行動を

(やっていること、やろうとしないこと、など)

 

 

 

 

完全に信頼してる、ということです。

 

 

 

 

そして、その

「体の方を信頼する」というのを、やり続けてきた結果

 

 

 

 

自分の脳内も、誤魔化さなくなり

自分の気持ちも、整理されてきて

 

 

 

 

少しずつ、信頼できるようになってきたのも事実です。

 

 

 

 

 

 

 

 

もうちょっと、詳しく説明しますね。

 

 

 

 

例えば、

眠たくて仕方なかったら、

「疲れてるのかもな」と、自分にチェックを入れるのです。

 

 

 

 

(それが理由だとは決めつけません)

 

 

 

 

疲れてる、という自覚がなくても

そうかもな?と、チェックを入れる。

 

 

 

 

(あくまで、チェックにとどめる)

 

 

 

 

決して

 

 

 

 

眠たくて仕方ない

・昨夜、十分寝て、スッキリしたはずなのに、どうして?

・そんなに疲れてないのに?

 

 

 

 

そんなふうに考えないのです。

 

 

 

 

眠たくて仕方ない

・自覚はないけど、疲れてるのかもな

 

 

 

 

そう捉えて

 

 

 

 

眠たくて仕方ない、という体のサインに

絶対的な信頼を置き、

 

 

 

 

そこに

・昨夜、十分寝て、スッキリしたはずなのに、どうして?

・そんなに疲れてるないのに?

 

 

 

 

体のサインや、行動に対して

こんな疑問符や、不信感は持たないのです。

 

 

 

 

(脳内の思考や、気持ちのほうに、疑問符や不信感をもつのです)

 

 

 

 

まあ、私の中では

結論として

 

 

 

 

脳内の思考や

そのときに感じたであろう気持ちは

 

 

 

 

いとも簡単に、私自身を騙すけど

 

 

 

 

(知らぬ間に、そして自然に、自分に嘘をつく、ということです)

 

 

 

 

体のサインや、行動は

私のことを騙せないのです。

 

 

 

 

悲しいはずなのに、笑って見せたり

しんどいはずなのに、明るく振る舞ったり

嫌なはずなのに、嬉しいそぶりを見せたり

疲れてるはずなのに、元気いっぱいに見せたり

 

 

 

 

そんなふうに

人間は、自分を騙す天才です。

 

 

 

 

だけどね

体は正直なんですね。

 

 

 

 

笑って見せても、ふっと無表情になったり

明るく振る舞っても、眉間に皺が寄ってたり

嬉しいそぶりを見せても、次の瞬間、ため息が出たり

元気いっぱいに見せても、顔色が悪かったり

 

 

 

 

本当に、体には、如実に現れるのです。

 

 

 

 

脳内や、気持ちが

何より、信用できないのは(笑笑

 


 

 

悲しいはずなのに、笑って見せたり

そのうち、悲しさを感じなくなってくる

 

 

 

 

しんどいはずなのに、明るく振る舞ったり

私は明るい性格なの!と思い込んでくる

 

 

 

 

嫌なはずなのに、嬉しいそぶりを見せたり

嫌なことなのに、嫌なことだと認識しなくなる

 

 

 

 

疲れてるはずなのに、元気いっぱいに見せたり

いずれエネルギーが枯渇し、動けなくなると、それを自分の怠けた性格のせいにする

 

 

 

 

こんなふうにして

自分が自分を騙してることにも、気づけずに

さらに、嘘に嘘を重ねて、巧妙に騙していくんですね。

 

 

 

 

それゆえ

脳内の考えも、心の中の気持ちさえも

 

 

 

 

自分の本来とは、全く違うものになって

「自分はこうなんだ」と、思い込んでいく。

 

 

 

 

こんな事実に、何度も直面してきて

(私自身も、クライエントさまも)

 

 

 

 

もう、信用できるのは「体のみ」

 

 

 

 

今の私は、そんな結論に至っているのです。

 

 

 

 

 

 

 

体と心、そして脳内(頭)は、全く違います。

 

 

 

 

本来なら、つながってるはず、なのですが

(そして、つながってる人は、健康的なのですが)

 

 

 

 

私のように、それらが乖離している人は

それぞれに、動こうとしてしまいます。

 

 

 

 

本来なら

 

 

 

 

必ず、その人の心と(自分でも気づいていない本音)

体のサインは、直結してて

 

 

 

 

今、体が動かない(今、動こうと思えない)

それが、今のその人の心であり、その人の答え、なんですね。

 

 

 

 

そこに

 

 

 

・昨夜、十分寝て、スッキリしたはずなのに、どうして?

・そんなに疲れてないのに?

 

体のサインや、行動に対して

そんな疑問符や、不信感は持たないのです。

 

 

 

 

「今は、体が動かない」ということが

事実であって、答えであって

 

 

 

 

そこに、疑問や、不信も持たないし

もちろん、責めや否定も、ありません。

 

 

 

 

「今、体が動かない」ことに

いいも、悪いも、ジャッジを入れないから。

 

 

 

 

もちろん

「今、体が動かない」のには、理由は存在すると思います。

 

 

 

 

疲れであったり

ストレスであったり

心がストップしてるのかもしれない。

 

 

 

 

だけど

そんな理由を探し始める人は、

 

 

 

 

そもそも、体のサインを信用していない人、なのです。

 

 

 

 

体のサインや、自分の行動に

信用ができないから、理由を求める。

 

 

 

 

理由があって、初めて、信用できると思ってるんです。

 

 

 

 

だけど、違います。

それは信用してるとは言えなくて。

 

 

 

 

信用する、ということは

ただ、その事実を、その答えを、そのまま受け入れることだから

 

 

 

 

理由や原因など、あろうがなかろうが

そんなの関係なく、

 

 

 

 

「今は、体が動かない」

 

 

 

 

この事実を

この答えを、受け入れること

 

 

 

 

それが、体のサインを信用する、ということなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで、こんなに動かないの?

なんで、こんなに動けないの?

 

 

 

 

理由は?原因は?

 

 

 

 

これをやってるうちは

体のサインや行動を、信用していないことの表れ、でもあるんですね。

 

 

 

 

もし、信用できてるなら。

もし、本当に、体のサインを信用するなら。

 

 

 

 

今は、体が動かない

だったら、じっとしていよう

 

 

 

 

こんなふうに、

人は、シンプルになっていくんです。

 

 

 

 

今は、眠たくて仕方ない

だったら、寝よう

 

 

 

 

その行動を、ついつい、やってしまう

だったら、やってやろう

 

 

 

 

今は、意味もわからないけど、涙が出て仕方ない

だったら、とことん泣こう

 

 

 

 

これを

体のサイン、行動を、信用する、ということ。

 

 

 

 

なんで、眠たくなるの?

なんで、ついやってしまうの?

なんで、泣きたくなるの?

 

 

 

 

そんな疑問や、不信を持たずに

 

 

 

 

今は、眠たくて仕方ない

きっと眠たい理由はあるのだろうけど、そんなのは関係なく、今は寝よう。

 

 

 

 

今は、その行動を、ついつい、やってしまう

きっと、やってしまう理由はあるのだろうけど、そんなことよりも、今はやればいい

 

 

 

 

今は、意味もわからないけど、涙が出て仕方ない

きっと、泣きたい理由はあるのだろうけど、今はそんなことよりも、涙が出るのだから、とことん泣こう

 

 

 

 

これが、体のサイン、行動を

そのまま信用する、ということ。

 

 

 

 

これができるようになると

生きることは、本当にシンプルになってきます。

 

 

 

 

軽やかにもなっていけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、私が書きたかったのは

実は、この逆のパターン、なんです。

 

 

 

 

なに?

逆のパターン?

 

 

 

 

はい、いつもの通り

前振りが長いです。

 

 

 

 

ここからが本題。

 

 

 

 

 

 

 

 

私ね

最近、本当に辛くて仕方ないんです。

 

 

 

 

何が辛いか。

 

 

 

 

それは、母のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前に、こんなブログを書きました。

 

 

 

 

 

 

以下、ブログから一部抜粋

 

 

 

 

最近、母ちゃんの状態が思わしくありません。

 

 

認知症の進みは、緩やかなのだけど

老人性うつによる、意欲気力の低下

 

 

そして

意欲気力の低下により

自分から動かなくなっていくので

当然、体力も衰えていき、

 

 

次第に、動かない、のではなく、動けなく、なり。

 

 

動けなくなっていくことで

さらに、体の機能も、どんどん衰えていき

心でさえも、反応しなくなっていく。

 

 

表情も、無表情になっていく。

 

 

そんな調子で、負のスパイラル状態になっているのです。

 

 

血液検査も、尿検査も、心電図も、

年相応の正常値で

内臓を含め、身体的には、これといった問題はないのです。

 

 

だけど、意欲気力の減退が(老人性うつが)

母ちゃんの命を、どんどん削っていってるようで

 

 

そのことに、私たち家族は

なんともやりきれない

何とも理不尽な、気持ちになってしまうのです。

 

 

目に見える病気だったら、

動けなくなっていくことも、何とか理解できたり、受け止めることができるのに。

 

 

心が、身体に、これほど影響を及ぼすのか。

 

気持ちの衰弱が、体を、これほど蝕むのか。

 

それを、嫌というほど思い知らされるのです。

 

 

 

 

 

 

もう、このことが本当に辛くて。

 

 

 

 

もともと、

母との共依存が強かった私にとっては

 

 

 

 

母=私、みたいな感覚もあって

母の苦しさ=私の苦しさ

 

 

 

 

そんな感覚にも支配されていって

ここ最近の私は、本当に辛くてたまらないのです。

 

 

 

 

なのですが。

 

 

 

 

先ほどの、体のサインを信用する、というアプローチで

私を、客観視してみると。

 

 

 

 

 

 

 

 

私ね

よく眠れてるんです。

 

 

 

 

食欲もあって

きちんとお腹も減るんです。

 

 

 

 

辛い辛い、と言いながら

体のサインは、あまり出ていないことに、今日、気づきました。

 

 

 

 

(肩こりもないし、体の不具合がない)

 

 

 

 

ああ、そうか〜、と。

 

 

 

 

体には、まだ、影響が出ていないな〜、と。

 

 

 

 

辛いのは、それは本当なのだけど

そして、そんなふうに思い悩む時間も増えてはいるけど

 

 

 

 

私の体は、まだ大丈夫なんだな〜、と。

 

 

 

 

そして、もしかして

これの意味するところは

 

 

 

 

私の悲しさと、母の悲しさと、

私の体の状態と、母の体の状態と、

 

 

 

 

きちんと、切り離せてるのかもな〜、と。

 

 

 

 

(今までは、母と私は一心同体だったから。

 

そんな一心同体の中で、私は、自分の感情を含む、私の全てが母一色になってしまって、そして、自分自身を失っていったから。)

 

 

 

 

ということは

今、私が感じてる悲しみは

 

 

 

 

普通の、当たり前の、感情であって

 

 

 

 

私自身の、私だけの、私オリジナルの感情であって

 

 

 

 

それなら、そのまま

「辛いよ〜」と言って、感じていこうか。

 

 

 

 

そう思えたのです。

 

 

 

 

母の状態に巻き込まれていないのかも、と思えました。

 

 

 

 

これも、体のサインを信じてる、ひとつなんですね。

 

 

 

 

今のところ

私の体は、元気で、通常運転してるみたい。

 

 

 

 

そう思うと

私の中の「悲しい」という感情も、

 

 

 

 

過大でもなく

過小でもなく

 

 

 

 

等身大に見られた気がしたのです。

 

 

 

 

ゆみっち、こと林由美でした。

 

 

 

 

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