二十、

 

 気がつくと、障子越しに日の傾いてきている様子が見て取れた。

 

「いけねぇ。すっかり長居しちまった。帰らないといけねえな」

 

 幸吉に見つめられ、思わずお由布は目を逸らした。

 

 今日は清之助の帰りは遅い。だから大丈夫だと言いたかった。まだ、大丈夫だと言いたかった。もう少し話していたいと言いたかった。でも、言えなかった。

 

 私は一体、何をしているんだろう。亭主持ちのくせに、こんなところで他の男と酒を飲むなんて。私は、なんて女なんだろう。

 

 楽しかったのだ。

 

 そう、楽しかったのだ。楽しくてたまらなかったのだ。

 

 本当に楽しくて、楽しくて。だけど……。

 

 お由布の沈黙は続いていた。

 

「よし、家の近くまで送っていこうか」

 

 家までと言わないところに、幸吉の心配りと遠慮が感じられて、お由布は胸が詰まった。

 

 力なく、よろよろと立ち上がり、店を出る。

 

「作治さんから聞いたんですが……」

 

「へー、何をだい」

 

「幸吉さんはもとは近江の商家に奉公に出ていたとか」

 

「ああ、そのことか」

 

「それが、どうして」

 

「女でしくじっちまってね。今じゃあ、こうして一人でこそこそと商売してるよ。ざまぁねえな」

 

 お由布の胸が、ちくりと痛んだ。

 

「俺なんか、俺なんざ、いいかげんな男でね。女一人幸せにしてやることもできない奴で。いざとなったら、すぐに逃げ出しちまうような情けねえ男なんだよ」

 

 そんなことはない。幸吉さんは、そんな人じゃない。私には分かる。と、お由布は幸吉の肩先に語りかけた。

 

 やがて見慣れた町並みが見えてきた。見上げれば、暮れかけた空に早々と一番星が光っていた。

 

「ほら、もう大丈夫だろう」

 

 幸吉が足を止めて振り向いた。仕方なしにうなずくと、「じゃあな」と言いしな、ふいにお由布の体を抱きしめた。

 

 着物を通して伝わってくる幸吉の体の温もりに、お由布の頬を涙が伝った。

 

「なんで、泣くことがあるもんか」

 

 幸吉はお由布の背中をぽんぽんと軽くたたくと、太い指でこぼれる涙をそっと拭った。

 

 背中に幸吉の視線を痛いほどに感じながら振り向きもせずに、わが家への道を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

つづく



 

 

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