ず~と襲い続ける不安感。

 

ここ1か月ぐらい、不安の正体を突き止めようともがいていた。

 

 

もう私は、一生不安と付き合っていくしかないのか

 

そんな覚悟も。

 

 

でもそれに抗いたくて。

 

 

カウンセリングに相談に行ったり。

 

SNS相談してみたり。

 

 

そして少しづつ輪郭が見えてきた。

 

 

潔癖症。何かやりだしたら徹底的にやらないと気が済まない。

 

ADHD気質で、すぐにあれもこれも目移りしてやりたくなる。

 

そして、片付けが全くできない。

 

色々やっても、中途半端。最後までやり切っていない。

 

ところが、年を取ってきて、目も悪くなり、やりたいことが物理的にできなくなっている。

 

体力の低下も大きな問題。

 

 

 

そして今までにやってきたことを、定年後からさかのぼって書いてみようともいます。

 

まず、和裁。毎週土曜日に、天満橋のほうまで、習いに行ってました。

 

10年は通ったと思いますが、和裁は、難しすぎて、結局、ろくに、作品ができずに、今作りかけの着物が、タンスの中に眠っています。

 

       目が悪くなってきて、縫えなくなったためにやめることにしました。

 

       タンスの中の、縫いかけの着物4枚ぐらいあると思いますが、もう

       ほどいて何か、違うものに作り直そうと思います。

  

 

次は、着物の着付け、これは、最後まで通い、免許状もいただきました。

 

お茶とお花

 

  一つは着物を着る機会を増やしたくて始めたのと、濃茶を教えてもらおうと思って習いに行きましたが、ちっとも系統だっていなくて、濃茶もやり始めて、2年ぐらいたっているのに、一向に進みません。先生の気分でお稽古で何をするか決められているようで、最近では、やる気がなくなり辞める事にした。

 

お花は、最近、自分で、先生の行きつけの花屋で、自分で買ってきなさいと言われます。

 

これも系統だって教えていただきたいのに、お遊びの延長のようなお稽古で、毎回、同じ生け方です。これも、もういいや、これなら自分でできるや。で、やめることに。

 

 

そして次は、畑、家庭菜園を借りて畑を耕し色々な作物を作っていましたが、体力の限界を感じて、その畑はやめ、今は、庭の一角で野菜を作っています。

 

 

個人塾 今は、中2の女子3人に教えています。

 

後、5年生の孫にも教えています。

 

 

その間に、首を突っ込んだこと、つまみ細工、ビーズを使ったモノづくり。

これは細かすぎて目が悪くなったのでもう無理。処分します。

 

布を使って小物づくり

 

そして現在残っているものは、

 

  畑

 

  多肉植物

 

  個人塾

 

  アイディアの勉強

 

  株

 

  着物で、物づくり

 

  西国33か所巡り

 

この7つが残っています。

 

 

この7つは、私の歳では多すぎます。結局どれも中途半端になり、そのことが気がかりになって、不安になるのだと思います。

 

 

そして私の性格の致命的な欠陥は、片付けができないこと。

 

これは、今娘に頼んで、手伝ってもらい、一部屋づつ片付けていってます。

 

まだまだ処分するものもあるんですが。。。。。

 

 

もし、私が、物も少なく趣味も減らして、のんびり生活できるようになれば、不安感は襲ってこないのではないかと思っています。

 

 

そこで、

 

まずはそれぞれを見て一番やりたいことから順位をつけてみようと思います。

 

 1,アイディアの勉強 来年の統一試験に向け今年中に勉強を終わらせる。

 

 2,個人塾 人が相手なので、急に辞める事が出来ないので、中3の終わりまでは続けます。

 

 3,株 生活費の足しにしたいので、欠かせません。

 

 4,畑 囲いを作り、毎年耕さなくてもよいような畑にする。

     労力の軽減をできるようにする。

 

 5,多肉 増えすぎたので、減らす方向で、2,3年で、一つの棚におけるぐらい

      にする。

 

 6,着物でものづくりは、上記の事が出来たら少しずつ続けたい。

 

 7,西国33か所巡りは、気晴らしの1日旅行と考えて、続けたい。もう3分の2

   は、終わっているので、あと一息、体力づくりと考えて続けよう。

 

それから体づくりのために、毎日の散歩は欠かせない。

 

それぞれの最終の到達点を考えて、月目標、週目標、毎日の目標を考えて、取り組んでみる。

 

それで、私の、不安感が消え去れば、私が建てた仮説は正しかったことのなるだろう。

 

 

ここに書き出していない、こまごまとした生活上のお金の管理などは、娘が来た時に、一緒に取り組む。

 

 

 

そして、来年から少しずつシンプルな生活になるようになったらいい。

 

 

今の世の中不安感を抱えて、過ごしている人は、山ほどいるだろう、ただ、仕事に打ち込んでいたり、忙しかったりすると、不安は、心の奥にしまい込んで、とにかく今あることを、全力でするしかなくなっていると思う。

 

 

孫の不登校は、まだ完全に解決したわけではないが、独り立ちして、自分で考えて進もうとしている。今はそっと見守りたい。

 

 

 

     

 

 

 

 

 

ロバ―トレドフォードの最後の映画だったと思います。映画「夜が明けるまで。」

 

ロバートレッドフォードさんの訃報89月16日に亡くなられました)を聞きその日のうちに観た映画。

 

もう私ぐらいの人しか知らない俳優さんですよね。

 

明日に向かって撃ての映画で、さっそうとデビュー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以来のフアンです。

 

でも今日は、映画「夜が明けるまで」のことを話そうと思います。

 

 

共演は、ジェーン・フォンダ

 

近所に住む、連れ合いをなくした二人。

 

年を取ってしまい、今は、二人とも独り身。

 

そんな時、彼女のほうが、夜一緒に寝てくれないかと頼みに来ます。

 

それを受け入れた彼は、もう初老の紳士です。

 

彼も一人寂しく、暮らしていたのでしょう。

 

夜になると、彼女の家に行きます。そして朝帰る生活が始まります。

 

 

 

初めは、おしゃべりをして、ただ眠るだけ

 

ぎこちなくおしゃべりも一言二言。

 

毎晩お互いの歩んできた人生を話してそして眠る。

 

そして、だんだんお互いを大切な人と思うようになっていきます。

 

でも、最後、彼女が息子と孫と暮らすため離れ離れになります。

 

また一人に戻った二人。といっても、彼女のほうは息子と孫が一緒です。

 

好きな人と一緒に過ごせない寂しさは、たとえ息子や孫がいても独り暮らしの時の寂しさが戻ってきます。

 

 

そんな時、彼から携帯が送られてきて、寝る前に携帯で話をするところで終わっています。

 

 

 

一人寝の寂しさが身に染みている私にとって、とても心を動かされる話でした。

 

私にとっては広い家で、独り暮らし、

 

一日誰とも話すこともない日もしょっちゅう。

 

 

いくつになっても恋をしたくなります。

 

誰かと心がつながっていたい。

 

たわいもないおしゃべりをするのも楽しい。

 

最近すっかり忘れていた恋心を思い出しました。

 

 

このまま一人ぼっちは嫌かな。

 

だれか私の横で眠ってくれる人がいたらこころがほっこりみたされる。

 

そんなだれかがどこかにいないかな。

 

 

 

 

 

ずっと観に行きたかった映画。一度、8月の初旬に見に行ったが、

 

疲れていたのか眠ってしまい、ほとんどなにを見たのかわからなかった。

 

 

今回再リベンジ。

 

最高に感動しました。

 

今まで何となくテーマを決めずにブログを思いついたままに書き留めていましたが、

 

これからは、テーマを決めて書こうと思います。

 

そして、手始めに「国宝」です。

 

鷺娘や、藤娘を踊る場面、曽根崎心中、二人の人生の裏を知っているだけに、その芸は、本物に感じました。

 

歌舞伎は、時々見に行ってましたが、ここまで感動したことはありませんでした。

 

芸に生きることの厳しさ、それでもその芸を突き詰めようとする、二人の若者の真摯なまでの努力。

 

好きってこうゆうことなんだろうなあ。

 

こんなにまで好きになったものなかったなあ。

 

こんなにまで、物事を、突き詰めて考え行動したことなかったなあ。

 

 

天才肌の、喜久雄。

 

天才でも、練習しなければただの人。天才が、自分のすきを手に入れ精進する。365日が練習の日々。

 

歌舞伎役者の家に生まれなくても、自分の才能と努力で勝ち取った国宝。

 

彼が見たかった景色は、その芸の究極の姿を演じる事ができたとき初めて見える景色。

 

でもその景色は、次の瞬間には消えてしまい、また、それを求めて練習をする。

 

悪魔に身を売り、すべての人の犠牲の上に勝ち取った国宝。

 

そこまでするっ?という人がいるかもしれないが、

 

そこまでできる人は、一握りの人だけ。

 

彼をそんな風に突き動かしたものは、名誉欲でもなければ、お金が欲しいからでもない。

 

ただ好きというシンプルな感情。

 

 

名門の子息として生まれてきた俊介。

 

父親が連れてきた喜久雄によって、彼の人生は狂わされてしまう。

 

所詮凡人の芸。

 

自分でもそれをわかっているからこそ、出自にこだわる。

 

そこをよりどころにしなければ、喜久雄の前では、吹っ飛んでしまいそうになる。

 

しかし、彼は、父から芸の血を引くだけではなく、糖尿病という病まで引き継いでしまった。

 

そこが彼の不幸だった。

 

片足を、切断し、もう一方の足も壊死が始まっている。それでもなお演じたいという俊介。

 

そして曽根崎心中を演じる事になるが、その演技は、凡人の域を超え、自分の死さえも引き受けて演じる、俊介。

 

その圧巻の演技に、心が震えた。

 

もうこの時点では、彼を凡人ということはできない。

 

 

 

 

15まで全く違った環境で育った二人が出会い、

 

それぞれが、まったく異なる苦しみ、辛さを抱え、それでも、愛する歌舞伎への思いだけで、生きていく姿は、

 

私の心にしっかりと、刻まれた。

 

生きることのすごさ、逞しさ、辛さ、そして楽しさ。

 

いくらやさぐれた環境の中で、投げやりになりかけても、演じる事を捨てなかった二人。

 

 

改めて、人生の、晩年ではあるが、心を揺さぶられ、もうひと頑張りしてみようかなという気にさせてくれた。

 

まだまだ、私には、すべきことが残っている。

 

ぼんやり生きても、何かを成し遂げようともがいても同じ人生。

 

その時間は等しい。なら、あとひと踏ん張り頑張りなさいと思う。

 

72歳のばあさんは、みんな何をやってるんだろうか?

変な質問ですよね。

みんなはみんな、私は私なんだけどね。

 

今日は、午前中、庭仕事1時間ばかり。

それから、今日から再開する、塾の準備。

でも、目からきているのだろう、頭が重く思考力はなはだ低くて、

だらだら、携帯見てると余計、目が疲れ、やる気も怒らない。

 

さて、あと塾まで2時間。

台所片づけて、リビングのテーブルの上も片付けて、

塾部屋の掃除をして、トイレも掃除して。

 

ああ忙しいのに、今私は、そこから逃げて、ブログを書いている。

 

心が動くのを待っていたら、こんな時間になってしまった。

早々、庭の水やりもしなくては。

肩にシップを張って、ロキソニンを飲んで、乗り切ることにしようか。

 

まずは、ぽやーと生暖かい部屋を冷房で冷やして、全室開け放して、風を通して、

動かなくてわ。

 

こう言う日が一番つらいですね。

俗に言うなまけ仮病。

そうとしか見えない。

今の私は、目標を失って、空をさまようたこのようだ。

せっかく眼下に見える、素敵な景色を見ようともせず。

 

部屋に籠って、悶々と過ごしている。

 

私には、野望があった。

 

不登校の子ども達のための塾を開こうと言う。

 

しかし一向に構想が煮詰まらない。

 

来年から始めたいのだが。

 

その準備も始めていない。

 

孫が、少し学校に行き一、私には、もう用がなくなった。

その寂しさが大きいのかもしれない。

 

娘が何とか頑張っているようだが、直接孫に教えてやって都は頼んでこない。

 

それが寂しいのだ。

何とか孫が学校に行けるようになるまで、と思い関わってきた。

 

でも、もう必要ないらしい。

 

プリントを渡されて、娘に解けない問題は、これやっといてといっては来るが、

間接的なものだ。

 

孫が、少しずつでも学校に行けたことを喜んであげればいいのに。そしてやりたいことをすればいいのに。

 

そうなんだよなあ。

 

孫を理解するために始めたカウンセリングの勉強。

 

夏休みで、ストップしてしまっている。

 

大金払ったんだから何とか再開させねば。

 

思いと感情は違う。

 

行動することで乗り越えるはずなんだが。

 

習慣化がなかなかできない。

 

少し過去に戻って、学びなおしをしてまたスタ^としなくては。

 

こんなことしてたら、30分立ってしまった。

 

もう時間がない。できることだけやろう。

 

それから、また考えよう。

 

まずは、シップを張って、ロキソニンを飲もう。

 

 

さあ、スタートさせよう。

 

 

 

 

 

不登校だった孫、中1になり、週3回ぐらい、4時間目か5時間目から登校。

 

ただ、中間期末試験は、受けました。

 

課題も全部提出。

 

あっぱれわが孫。

 

この夏は、いやいや宿題をしているようです。

 

母や、父に言われて何とかできそうかな。

 

出来なかったら、登校できないと思っていたので、二学期からの登校も何とかクリヤしそうです。

 

ばあさんとしては、孫にすることがなくなったので、ちょっと寂しいです。

 

 

とりあえず、不登校の本は、片っ端から読み漁ろうと図書館から借りてきて読んでいます。

 

 

 

1っ冊目。

 

家族が変わるとき  森薫 解決型家族支援の専門家だそうです。

 

解決型って何だろう、宿題です。

 

読後感です。この人は、すべての、不登校や引きこもりニートを、ゼロ100思考の持ち主だと決めつけているような。

 

そして、子どもをスペシャルタレント気質とこれも決めつけてるような気がします。

 

そして。、家族の中には、そうゆうスペシャル気質の父や、母がいて、遺伝すると。

 

 

スペシャルタレントとは、触覚・味覚・聴覚・視覚・臭覚などが過敏な子です。

 

プラスゼロ100志向があるので、その子を生きず楽しているようです。

 

そして今の教育では、その子たちを、今の教育に順応させることばかり。

 

それができないから、森先生は、ホームスクールかフリースクールに行かせようとされてます。

 

学校こそ変わらなければならないと思うのですが・・・

 

 

 

それぞれの、解決方法は、さまざまですが、とりあえず、学校は休みなさいとおっしゃってます。

 

それはそれで、状況からそうすべきなのはわかるんですが、では、その子は、どうやって立ち直っていくのだろうか、大人の場合は、起業しなさいと言われることが多いです。

 

そう簡単に企業なんてできなせんよね。

 

学生には、フリースクールか、ホームスクールを進めている場合が結構ありました。

 

うーん、ホームスクール使えるかも。

 

これについても調べなくては。

 

私の場合、不登校になった孫は、やはり学校に戻ってほしかったというのが本音である。

 

そのために彼が自信をつけるためのいろいろなことを試みた。

 

いとこなど、彼を周りを取り巻く周りの人が結構いたので、彼も、家に閉じ困らず中一になる、春には、結構外に出かけていた。

 

結果、細々と学校に通っているのだが、2年の不登校という時間は、彼には長すぎた。でも、必要な時間だった。

 

結果、勉強に取り組む姿勢を作るところから始めなくてはいけない。まず根気が続かない。

 

そうなると、何で勉強なんかせなあかんねん。となる。

 

とりあえず中学の学習までできていたら、その後何を目指そうとも、基礎が必要なので、

 

何とか頑張らせたいが、最後は、本人のやる気だ。

 

 

ぼちぼち、私の学びを含めて、ブログ書き始めてみようぼちぼち

 

 

 

 

 

おはようございます☀散歩始めて4日目。


6時半なのに、もう暑い。


何にもない公園のベンチで書いてます。


今日の花は、




ブタナ。


名前がなんだかなあ。


もっとすてきな名前つけてもらえたらよかったのにね。


今朝は、久々に気分良く目覚めました。さて、散歩の続き、もう少し歩きます。                


習慣化するには、まず、3ヶ月。先は長い。しかし、歩くだけ、山があるわけでもなく、谷があるわけでもない。でも続かないのはなぜ。


私が実行してるのは、翌日したいことのタスクを書き出す。


それだけ、朝起きてそれを見て、何も考えず、歩きに行く。


それまでは、朝起きて何しようかなあと思いつつ、携帯いじったり、アイパットで、ユーチューブ見たりしていたのがなくなった。


方法は、単純、予定を書いておくだけ。


習慣化できない人、やってみて下さい。


詳しくは、また、まとめて書きます。



こうして、パソコンの画面に向かっているとき、少し心が落ち着く。

 

今の私には、癒しが必要のようだ。

 

明日から東京。

 

終末期医療に携わってきている人の話を聞きに行く。

 

私の中に何か変化が起こるのだろうか。

 

そこから今の自分の姿が見えるのだろうか。

 

今日も、孫に会いに行くのはやめよう。

 

孫を見ることがつらくなってしまっている。

 

私が、私が何とかしなくてはと思ってきたが、

 

その傲慢さに気づいた。

 

そんな上から目線で、孫の心をつかむことはできない。

 

ましてや孫が、そこにいる現実を見せられるだけで、とげが刺さるように、私が傷つく。

 

少し遠ざかって、私が、立ち直らなければならないようだ。

 

今朝の目覚めも悪かった。

 

そういう時は、黄色信号だ。

 

家で、明日から出かける準備と、塾の準備をした方がよさそうだ。

 

心理学で、人生脚本というのがある。

 

どうも私は、小学校5,6年生で、人生脚本を書き上げたようだ。

 

人生脚本については、また、ゆっくり語りたいと思うが、

 

その脚本は、何度書き直してもいい。

 

然し、上書きされた人生脚本は、いつかまた、元の文字が浮かんでくる。

 

修正を行いながら、ここまで生きてきたが、

 

不の脚本は、そう簡単には、消し去ることができない。

 

死ぬ前に、自分の人生を一度清算して、新たな人生脚本を書き直さなくては。

 

きっと何年もかかるだろう。

 

でも、今の私にはそれが一番必要なことだ。

 

心理の勉強もいいだろう。

 

旅に出るのもいいだろう。

 

ゆっくり鈍行列車に乗って、風景を眺めてみたい。

 

体を動かしてアクティブなことに挑むのもいいだろう。

 

ゆっくり自分のために時間を使ってみるとしよう。

 

ひょっとしたら、私が解放されるのは、死を迎えるときかもしれない。

 

然し安らかに眠りにつきたい。

 

最後の生き直しかな。幸い、まだ時間はある。

 

やりたいことは、やりつくす。

 

 

この家に孫が持っていきそこなったレモンの木。

 

前の家からこちらに移したときに、

 

枯れないように、ほとんど枝葉を切り落とした。

 

何も言わず、もう死んでしまうのではないかと思ったのだろう、こっそり涙を流していた。

 

でも、今は、しっかり枝葉を伸ばして立派なレモンの木になっている。

 

持って彼ってもいいと言ってるのだが、母にも父にもそのことを言い出せない孫。

 

自分の思いが吐き出せるようになれば、いいのだが、昔の自分を見ているようだ。

 

このレモンの木を見るたび、孫の心を思う。

 

繊細で、洞察力も深く、でも、思ったことが言えない孫。

 

母にも、心の底では言いたいことが言えていない。

 

何処かで、そんなちっぽけな思いなんか、吹き飛ばすだけの強さが欲しいのだが。

 

誰かが言ってたなあ。学校に行ってなくても、精神的な成長はしっかりしているからと。

 

それを聞いてなんかほっとした。

 

一緒に、山登りでもしてみたいな

 

二人とも、私も、孫も強くなれそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この一か月いろんなことがありましたが、また今度ゆっくり書きます。

 

今日は、朝から、何をする気も起らず、喉も痛いので、ゆっくり休んでいました。

 

やる気もゼロ。

 

どうしてかなあと考えていました。

 

多分、今だ、毎日、不登校の孫に、振り回されています。

 

一昨日は、勉強するっていたら、ほんの五分だけですが、しました。

 

もうそれだけで、私はうきうきしています。

 

そして昨日、結局何もしませんでした。

 

まあ、私の心の中に、彼が学校に戻ってほしいという気持ちがあるのが見え隠れするのが嫌なんでしょうか。

 

そして今日、またまた落ち込んでいます。

 

最近は、朝、8時30分ごろ。孫の家に行き散歩に誘います。

 

でもいつも空振り、孫の家で、胃時間ほど過ごして気が向けばぐるっと町内を回って散歩の続きをして帰ります。

 

今日は、朝から、荷物が続くといいので、孫の家には行きませんでした。

 

散歩もやめ、勉強も自分から言い出すのを待つ方がいいのだろうか。

 

期待するけど、ほぼ嫌と言う答えが返ってくるから、私の心が傷つきます。

 

 

もう、孫に振り回されるのはやめて、自分のために生きていく方がいいのだと思うのだが、

 

踏ん切りがつかない。

 

最近カウンセラーの勉強を始めた、

 

ゆくゆくは、カウンセラーになろうと思う。

 

その勉強に打ち込もうか。

 

実は、土曜日から、カウンセラーの勉強のために東京に行く。

 

私が、私であるために、私の、したいことは、やはり勉強。

 

死ぬまで続けられたら最高なんだが。

 

孫は、娘が責任を持てばよい。

 

私は、私のやりたいことをやる。

 

娘が、SOSを出せばいくらでも応援はするが、今のままでは、完全に精神的に回復しない。

 

病んでるから、余計、孫のことが気になる、一言一言が、彼のしぐさが私の心に刺さる。

 

もう大丈夫と思っていたが、やはりまだ無理みたいだ。

 

この広い部屋で一人過ごすのもつらいものがあるが、

 

私が選んだ結果、一人で暮らすことになったんだから、

 

そこは、一人の生活にいなじまないと。

 

今日は三十分だけでよいから、部屋の片づけをしよう。

 

 

 

 

結局昨日は、駄目でした。

 

一日だらだら過ごしてしまいました。

 

まあそんな日もあっていいよね。

 

散歩もいかなかった。

 

ホットヨガの予約もキャンセル。

 

私の場合、ってみんなそうかもしれないけど、心の調子が、一日の過ごし方に表れる。

 

心が安定している日は、一日中動き回っている。

 

さて、今日は、明日からの東京行きの準備。

 

今日も、あまり気分はよくないけど、

 

ぼちぼち、準備しましょう。

 

 

 

不登校の子の心の成長について、

 

掛井一徳さんが話されていたことを今日は書いてみようと思います。

 

 ある不登校の子供たちのキャンプに参加させてもらった掛井さんが見たもの。

 

 子供たちは、一人ひとり順番に、ハーネスをつけて十メートルほどの木に登るそうです。

 

 登る途中、子供は10メートルもある木です。怖がっています。

 

 そんな子にどんな声掛けをするのか。

 

 普通なら、頑張って。

 

 上に登ったら景色いいよ。

 

 そんな風に言いますよね。

 

 ひょっとしたらがんばれの、大合唱が響くかもしれませんね。

 

 でも、そのキャンプでは、違う声掛けをするんです。

 

 応援はしないんです。

 

 そして言うんです。

 

 あの木、10メートルもあるから景色きれいだろうなあ。

 

 でも落ちたら死ぬことはないけど、

 

 骨折するかもしれないねえ。

 

 でも大丈夫、保険の先生もいるし、救急車も呼べるから、

 

 さあ、どうする。

 

 そこで子供の中に,大葛藤が生まれるのです。

 

 上りたいなあ、けどもし落ちたらケガするだろうし、どうしよう。

 

 

 そして登れた子は、主体性がアップするのです。

 

 俺は勇気を出すことができたって、自信が生まれるのです。

 

 

 反対に登れなかった子に対しては、

 

 あっつ、そっか、あえて危険を冒す必要ないしね。

 

 ありがとう。君が上らない判断したことで、

 

 こうして無事にここに君がいてくれてよかった。

 

 その子は、あそこで登れば良かったと思います。

 

 これからは、もっと難しいアクティビティに挑戦しようと思い、

 

 その子の、主体性もアップするんです。

 

 

 もし、皆のはげましや大人の言うことを聞いて登っても、

 

 自分で判断して上ったような主体性は生まれないのです。

 

 ただ上らせられただけ。

 

 上れなかったときは、期待されたのに上れなかった。

 

 自尊心が傷つくんです。

 

 人生の中で、自分で自己決定していいんだ

 

 ということを教えることが大切だと述べられています。

 

 そのキャンプに参加した子の半数は、再登校できるようになっているそうです。

 

 

この一つの場面の話を聞いて、よく、不登校の子の

 

ゆうことは何でも聞いてあげましょうという話をよく聞きます。

 

でも何でもかんでも聞けばいいのではないんですよね。

 

何か腑に落ちたような気がしました。

 

不登校の子は、ある意味、気ままに、毎日を生活しています。

 

というと語弊があるかな、わが孫を見ていても、

 

学校には行かなければならないでも行けないという葛藤を毎日繰り返しています。

 

そりゃ、抑うつ状態にもなるでしょう、

 

出かけることもできなくなるでしょう。

 

毎日、毎日辛い思いをしています。

 

でも、彼の心が変わるような、

 

葛藤し自分で決断してもいいんだという場を

 

うまく作ってあげるといいと話されてました。

 

 

そこで、掛井さんは、U-ターン作戦の話をされました。

 

 

 車で、門まで連れていく、でも、学校の門には入れない。

 

 でも、門まで来たからそれでよし。

 

 帰りにアイスでも買って帰ってください。

 

 二日目もやはり校門が近づくと、体がこわばる。それを察知して、じゃ帰ろうか。

 

 それをくりかえすうちに、少しずつ葛藤や辛さを話すようになる。

 

 その子は、あの時、校門に入っていたら教室に行けたのになあ。

 

 という葛藤。

 

 そしてだんだん行けるようになるそうです。

 

 

休んでもいいよというお母さんの心の大きさ。

 

そして、葛藤する子を甘やかすでもなく、

 

自分で決定することを選ばせているおかあさんの強さ。

 

つい、門の前で、行きなさい、嫌いかないの、

 

の問答が始まり、最後には根負けしたお母さんが、

 

あきらめて家に帰るのが普通ですよね。

 

でもこのお母さんは、行けとは、一言も言いません。

 

その子の決定を待っています。

 

その子のつらさがわかるからこそ、

 

お母さんは、その子の心の変化をじっと待っています。

 

いつかその子が、自分から行くようになると信じてるからこそ取れる行動だと思います。

 

いかないだろうけど、毎日、その子を門まで送るお母さん。

 

その子に葛藤する場を作ってあげてるのです。

 

そして、見守り、無理なら帰る。

 

総、見守るって、世間でよく言われている見守りとは違いますよね。

 

葛藤の場にその子を突き放してこその見守りなんですね。

 

葛藤して苦しんで無理だったとしても、

 

それを受け止めるだけの、心の広さがあるんだと思います。

 

 

 

今日は、掛井さんのお話をかいつまんで

 

不登校の子の心の葛藤と成長そして、

 

自分で決めてもいいんだよという自己決定力

 

について、書いてみました。

 

まだまだ、自分のものになってないんですが、

 

具体的にじゃあ、わが孫にどんなことで、

 

葛藤を生むような場面を作ることができるのか考えてみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人暮らしの特権???

 

まだパジャマ着たままです。

 

基本気持ちが動いたら、行動を起こす。

 

でもねえ。

 

今日は、気持ちが動かないんです。

 

どうしたんだろう。

 

そう言えば、昨日の夕方孫の家に行ったなあ。

 

孫たちは、二人とも、パソコンの前に座ってる。

 

とうぜん私には、背を向けてゲームに夢中になっている。

 

一言二言声をかけた。

 

 ”猫飼うことになってんてねえ。”

 

 ”良かったねえ。”

 

に、

 

うんとしか答えてくれない。

 

どんな色でどれぐらいの大きさか何も話してくれない。

 

まあいいか。

 

娘と少し話をする。

 

学校には行ってるの?

 

まあ週2回ぐらい。

 

友達出来たみたいやし、門までついていってるねん。

 

一緒に中に入って、様子見た方がいいんじゃないかと思っていたが、何も言わなかった。

 

また言い争いしたくもないし。

 

娘たちが我が家から出て行ってから、4か月。

 

本を読み漁りユーチューブを見まくり、不登校の解決法を学び続けて来た。

 

これは参考になると思った人や本は、娘に紹介するが、娘は聞き流している。

 

私の進めた人のこと調べようともしない。

 

なんかまた、むなしくなる。


 ”今やったら、うまく言葉かけできたと思わ。”

 

と話したが、

 

娘の答えは、

 

 ”一緒に暮らすとそうもいかんと思うは。”


に、

 

心がうずく。

 

まあ、追い出したのは私なんだから。

 

娘からの拒否の言葉と感じた。

 

娘のゆうことは当たっている。

 

晩御飯食べて帰ることになったが、

 

みんなで一緒に食べるわけでもなく、

 

それぞれが、ゲームの切りがいいところで食べにくる。

 

ああ、いつもこんな生活してるんだろうなあ。

 

我が家にいるときは、一緒にいただきますしてたなあ。

 

あれも私の押し付けとしかとらえることができなかったんだろうか。

 

 

まだまだ、娘と孫と私との間にある溝は、薄められていないなあ。

 

やはりもう少し距離を取った方がよさそうだ。

 

そんなことを考えていたら、動く気力がなくなってしまった。

 

あらあら、もう11時だ。

 

時間を決めよう、12時から動くことにしよう。

 

今日することは、台所の片付けと、東京に行く準備。

 

dhuorinngo、もう500日以上続けている。

 

畑の手入れ。大根も株もすくすく大きくなっている。

 

そろそろ、ホウレンソウの種まき準備をしなくては。

 

それから、ETMにお金をおろしに行かなくちゃ。

 

 実は、明日の夕方から、孫3人と東京に行くことになっている。

 

 不登校の孫は、行かないと断言していたが、

 

 いとこの孫娘に誘われていくことにしたようだ。

 

 と言っても、新幹線に乗るまでは行くかどうかわからないが。

 

本当は、私一人、東京の娘のところに行くつもりだったが、

 

家に閉じこもっている孫を連れ出した方がいいと思って誘ったが、

 

彼ひとりついてくるはずもなく、

 

他の孫二人もいくことになった。

 

 

部屋を留守にするんだから、少しぐらいは、片づけておかなくちゃ。

 

そこで、時間があれば片付け。

 

 

 

 

昨日の娘の何気ない一言で、これだけ傷つくのだから

 

まだまだ回復しているというわけではない。

 

毎朝、寝起きの不快感は、たまらない。

 

不安感というか、悪夢にうなされた後のような気分で目覚めることが続いている。

 

もっと癒しの時間がいるんだろうな。

 

娘の家に行くと、気分が不安定になるんだから、

 

行くのをやめた方が、いいのはわかっているのだが、

 

気になって、つい顔を出しに行く。

 

やはりしもうしばらく完全に心が安定するまで、

 

娘の家に行かないほうがいいだろう。

 

やっと治りかけて、精神的に落ち着きかけているんだから、もう少し養生しよう。

 

今日のブログは、暗いブログになってしまいました。