プログラミング教育への期待 | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

 

 

さすがに小学校でC言語までは教えないみたいですが、高校から必修科目になるんですね。
黒い画面に数式とアルファベットがズラズラ並ぶ魔法の呪文
格闘しなきゃならんのかと思うと、これからの子供たちがあまりにも不憫でなりません。
子供たちを将来のIT技術立国(笑)の尖兵にでもするつもりかどうかは知りませんが、
いまだ英語もロクにできねー大卒がその辺ゴロゴロしてるのに、
ソフトを組めるだけの人材が果たしてどれだけ育ちますかね?

魔法の呪文

 

とはいえプログラミング学習には個人的に期待してる部分もありまして、
突っ込んだコトやるのは無意味だと思いますが、全くの無駄だとは思っていません。

 


まず第一に、キュレオのサイトにもあるように、コンピュータにあいまいな指示は通じません。
「気合入れろ」「根性出せ」「甘えるな」「言い訳すんな」
…そんな上から目線の精神論根性論丸出しで、人間の高度な知性と判断能力に甘ったれた
能無しのク〇ソ野郎がパワハラ曖昧な指示をどれだけ繰り返そうが何もしちゃくれません。
ナニかしてもらいたければ、相手に通じる言葉でキチンと、具体的に伝える必要があるわけで、
“手段”と“手順”を含めて“具体的に”考え抜かなければいけません。

そして第二に、ここからがプログラミング学習で身に着けてほしい重要なコトなんですが、
本日7月11日が命日となった、とある人物の言葉を引用するとしましょう。

 プログラムというのは、純然たる、純粋なロジックなので、そこに矛盾が
ひとつでもあったら、そのシステムはちゃんと動かないんですね。


 機械のなかで間違いは起こらないんですよ。間違いは全部、機械の外にある。
だから、システムが動かないとしたら、それは明らかに自分のせいなんです。


(中略)

 プログラムの世界は、理詰めです。だから、もしも完動しないとしたら、
原因は全部プログラムしたこっちにある。
 わたしは、人と人とのコミュニケーションにおいても、うまく伝わらなかったら
その人を責めずに、自分の側に原因を探すんです。


『岩田さん:岩田聡はこんなことを話していた』より

 

 

任天堂の中興の祖として知られ、また超一級のプログラマーとしてファミコン時代から多くの
任天堂作品にも関わってきた人物の言葉であり、傾聴に値するものであることに疑いの余地は
ありませんが、学校では絶対に教わらないのでここで覚えときましょう。

「与えられた環境で」「言われた通りにして」上手くいかないのであれば、
非があるのは実行側ではなくコマンド(命令)側にある…というのがプログラミングの考え方ですが、
教える側にしてみりゃ自分の首を絞める結果になりかねません。

自分の側に原因を求めて余計な苦労をしょい込むぐらいなら、
いっそ「大和魂」だの「一億玉砕」だのなんだのと時代遅れの
精神論根性論でドヤしつけて押さえつけてる方がよっぽど楽で
キモチイイですからね。誰だって楽な方を選ぶに決まってます。


コマンド(命令)側にあっては「具体的な手段と手順」を「伝わるように」考え抜き、
実行する側にあっては失敗の原因を「与えられた命令や環境の問題」として認識する、
プログラミングの本質をキチンと理解出来ているのであれば、筋道立てて考える論理的
思考力だけでなく、「ルールや命令が間違っている」という真っ当な批判精神をも、
正しく育てることが出来るはずです。

自分自身にとってそれはクソゲーのクソな部分を明確に言語化する過程で獲得したものですが、
「出来ることしか出来ない」テレビゲームの世界は、よくよく考えてみればプログラミングの
産物というか集合体みたいなものですから、その結果はある意味必然なのかもしれません。
まぁ「人を選ぶ(自分は選ばれた)」とかww「賛否両論(あって当たり前)
なんて便利な言葉で高評価レビューを投げてるような“価値の無い命”どもには死んでも
理解出来ないどころかいっそ死〇んでくれた方が世の中少しはマシになるでしょう。

日本を勝てもしない無謀な戦争に突っ込ませ、何百万人も無駄死にさせて何の反省も出来ない
ジャップどもの心に巣食うクソったれな精神論根性論が、プログラミング教育を通じて根絶される

ことを、当方心より願っております。
 

ソースコードを覚えたコミュ障が量産されるだけなら、
プログラミング教育としては完全に失敗と言えるでしょう。

 

追記:

この場を借りて改めて、その早すぎる死に心からの哀悼の意を、
そして改めて、岩田さんのご冥福をお祈り申し上げます。

アイデアとは、それ1つで複数の問題を一挙に解決するもの

「宮本ウォッチャー(本人談)」としての深い観察から導き出された“アイデアの定義”は、
今までもこれからも、自分にとっての大いなる救(たす)けとなっています。

“答え合わせ”が出来るようになって、救われたのは自分だけではないはずです。