暫定『ペテンの大風呂敷』・後編(再構成) | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

前編

 

最初にデカい数値目標ブチ上げて少しずつ達成していくのはかなり昔から、

それこそ『封神演義(原作の方ね)』の時代にもあったわけなのですが、
こうして言われてみればピンとくる程度にはありふれているはずなのに、
それをひと言で表現出来るような名称が何かあるかと言われればどうでしょう?
少なくとも自分の中に思い当たるフシは無く、これまでに聞いたこともありません。

そしてこのテの作品は残念ながら9割がた途中で投げ捨てるので、
最後までキチンとノルマを達成出来た試しが殆ど無いのが実情です。

厳密には“最後までやれたことを実感出来ない”と言った方がいいかもしれません。
少なくとも自分の知る限りで全部やり切った作品といえば『ジョジョ』第3部くらいで、
しかも全部やり切ったどころかタロットカード22枚とエジプト9柱神では賄い切れずに
追加で2人登場するというのは、本当に数少ない稀有な成功例と言えるでしょう。

追加された2人『ヴァニラ・アイス』

もう1人『ケニーG』

 

あとはもう数字がデカすぎてどう考えても尺に収まらないどころか
どこまでやったか客の側もいちいち覚えていられない
のをいいことに、
いつの間にか全部ヤったことにして放り投げる作品の多いこと多いこと。
テレビゲームのやりこみ要素以外で使いこなせているのを、他に見たことがありません。
(ポケモンの151匹とかね)

現実的な数字にしたらしたで、今度は最後にヤる分チョロっと残して寄り道に走る始末。
半世紀ぶりに再びアニメ化された『どろろ』がまさにそれでして、そういうことは最後まで
全部いたしてからにしてほしかったなと、個人的には思った次第です。

まぁそれでも『遊戯王ゼアル』の投げ捨て方に比べればマシなんですけどね。
3年の放送期間(150話以上)がありながら100枚のノルマを達成するどころか
あとからどんどん数を増やしまくって放送終了後何年にも渡り
販売枠を食い潰し続ける
というのは、自分の知る限りでは最低の最悪でした。
今にして思えば、遊戯王のアニメはゼアルから腐り始めていたわけですね。

客の期待を煽り、物語の壮大さと“プラスに向かっていく”感覚を演出するのに、
巨大な数値目標をブチ上げるのは一定の効果があったのかもしれませんが、
実際にやれるかどうかは割り算すれば誰にでも分かることですし、
それに何より、これまでまったく信用を積み上げてこなかったのがいけなかった。

商業作品の本質はつまるところ人気商売ですから、客の顔色窺(うかが)いながらの
テコ入れと引き延ばしの構造的宿命から逃れるのは、とても難しいことです。
当初の予定通りにいかない制作側の事情もあるのかもしれませんが、でもだからといって
出来もしない大言壮語を認めていいことにはなりません。

客の期待を煽るのも途中で投げ捨てるのも全部制作側の都合であって、
客の側にはそんなモノに忖度(そんたく)する義理はあっても義務はありません。
最終回先行映画化なんて所詮テレビで話がまとめ切れないことへの
言い訳
としか思えませんでした。あれも結局テレビ本編とは無関係の特番と合わせて
13人、出したことになってましたね。『龍騎』なんですけどね。

リアルタイムで観てた頃は学生でしたが、序盤で人数明かされた当時は期待するどころか
「出せるわけねーだろペテンどもが」と、
かなりやさぐれた気分で眺めていたのを覚えています。
出来もしない約束なんかするモンじゃないと、つくづく思います。

とりあえず暫定的な名称として、

・ペテンの大風呂敷

・約束された不渡り手形

というのを考えたのですが、否定的な捉え方をしている時点でどうあがいてもフラットな
表現にはならないし、認識を共有するための暗号的な名称として、相応しいとも思えません。

何か良い呼び名はあるでしょうか?

〈終わり〉

 

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