立岩の前面を眺めると、土地は汚泥で、しかも大きな川が流れており、舟なくしては容易にわたることが出来ない様子でした。
ただ唖然としているちょうどその時、この土地の豪族である八田彦が多くの兵士を率いて狭野命を迎えました。
そして自ら進んで川の瀬踏みをし、鉾を川にさして地盤の固い浅瀬を示してくれました。
八田彦、時代は下って景行天皇の時に出てくる土蜘蛛「八田」の祖先かなのではないかと考える。
「立岩」で手力男が倒した賊は、八田彦の一味?
神武天皇を最初から快く迎えたのではなくて、戦った結果屈して配下に着いたのではなかろうかと考える。
狭野命はようやくその地にたどり着き、しばらく留まって言いました。
「この土堅きこと岩のごとし。これからは加多之萬(かたしま)と名付けよう」
また、こうも言いました。
「泥と水を合わせれば田畑が開けるであろう。以後、ここに水土の神を祀って祈るべし」
これが、片島明神、貴船明神の始まりです。
若八幡宮
飯塚市片島3丁目10-39
貴船神社
福岡県飯塚市片島2丁目16-40付近
※伝承自体は別の神社(高宮神社)に伝わっていたもの。
上記2つの神社は現在神職もおらず由緒等も分からなくなってしまっているけれど、片島地区にある神社は限られているので、上記2つの神社が伝承の神社であろうと思われる。
ちなみに、若八幡の境内には片島公民館あり。
また、片島地区の中でも小高い場所である。
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こちらは神功皇后伝承地巡り。
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