薩摩軍が盗んだ御神体を置いていった柞原八幡宮 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。



柞原八幡宮

大分県大分市八幡987


祭神

応神天皇、仲哀天皇、神功皇后


とても冷たくて清らかな感じの手水舎。

最近は人口の水道のものが多いけど、境内の手前の方にこういうのあるの、とても良い☺️



はい、長そうな階段です。


「20年前に来た時にはこの階段気にならなかったのだけど、あの頃は若かったのね」とは、参加者の1人の言葉。




そうよね、私も今は平気だけど、いつまで動き回れるのだろうかとはすごく思う。

私以上にアクティブだった父が、最近あんまり遠出しなくなったから、いずれ私も…とヒシヒシと。

元気なうちになるべくいろんな所に行きたい!



赤に菊花紋🏵️


ふとましい木。

樹齢3000年だとか⁉︎


南大門が大変立派!



中に彫刻が沢山施してあった。

じっくり見てたらここだけでかなり時間食うぞ。



そんな時間の余裕ないから、ささっと写真撮るだけで過ぎたけど、見ていたら日が暮れるってことでだろうね、「日暮門」とも呼ぶらしい。


緩やかな坂。

雨の後なせいで滑りやすかった。

手すりありがたいね。


途中には宝物殿。

ここまで車で来れるっぽいけど、バスみたいな大きな車はここまで上がって来れないとかあるやも?


南大門よりは小さな門。


でも、こちらもなかなか立派な彫刻。



天長四年(827)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参篭にて神告を蒙り、柞原山に勧請したのを、当宮の創設起源とする。


これは、大友宗麟が奉納したらしい。

え、すごい。そんなの打たせて貰って良いの?

さすがに皮は張り替えてるよね、多分。


この神社は戦国時代、大変崇敬を集めたのだろう。

実はこの神社をるなさんがツアーに組み込んだのは、福岡県糟屋郡にある伊野神社(伊野天照皇大神宮/九州のお伊勢さん)に伝わる話に柞原八幡宮が出て来たから、だそうな。



天正14年(1586)7月筑前国は島津軍に席巻され、立花城の近くに鎮座する伊野皇大神宮もその兵火にかかり、神器・古文書をすべて失います。

その中、豊丹生兵庫太夫は、竈門山の麓に御神体を隠しますが、島津軍に探しあてられ薩摩へ持ち去られます。しかし、その道すがら神霊が祟りを続けるのを畏れて、豊後国の柞原八幡宮に箱に御神体を入れたまま置去ります。それでも神霊の祟りが止まない中、柞原の里の司に「汝、我を筑前糟屋の郡伊野と云所に帰すべし」との託宣がありました。司は急ぎで伊野に使者を立て、豊丹生兵庫太夫を招きます。すぐに豊丹生兵庫太夫は柞原に行き、天照大神を迎え奉りました。

(『糟屋郡伊野邑天照皇大神宮縁起』『筑前国続風土記・巻之十八 糟屋郡』より)


サムネイル

島津軍が福岡から御神体を持ち去った。
薩摩に持って帰ろうとしたけど、御神体が祟ってくるものだから、途中にあった柞原八幡宮に置いて行ったんだと。
ここなら神様も許してくれると思ったんだろな。…許してくれなかったみたいだけど。



柞原八幡宮の司は良い迷惑だったろうけど、託宣を受けてちゃんと取次してて偉い👏



柞原八幡宮のおかげで、伊野神社に御神体が戻ってきて、めでたしめでたし。



なお、貰った御朱印↓


伊野神社について↓




柞原八幡宮を出て車で10分程走った。



こんなに離れた場所に、「柞原八幡宮」と書かれた大きな鳥居が!



地図を見るとこの近くに柞原八幡宮のお旅所があるらしかった。

いやはや、影響範囲の広い神社ですよ⛩️