嘉麻市文化財公式の動画が更新された!
6/21の講座で使用された動画はこちら↓だったよ。
お辰どんは大きな蛇。
南の国から海を渡って来た。
神功皇后の植えた榊の木を怖がっており、出て来る時は榊の木を避ける。
体長2m前後。
足が四本あり馬より速い。
大きな目でにらまれた人は発熱して倒れる。
南の国から来たとか神功皇后の榊を避けるってのが独自性のある話。
後半3つについてはまぁまぁありそうな空想上の怪物って感じだね。
〜民話の概要〜
村の若者2人がお辰どんに遭遇した際、鍬を何度も振り下ろして追い払った。
若者2人は熱を出して寝込んだ。
村には大雨が降り山崩れが起こった。
村人達はお辰どんが二度と暴れないようにするにはどうしたら良いか話し合った。
長教寺の住職は「蛇を打った2人はもちろん、人々が生き物をいつくしまなければならない」「また、村の境に祀ってある高木の神と山の神が荒れ果てているので手直ししたらどうだろう」と言った。
村人達は住職が言った通り、社を新しく建て榊を植え、生き物を大切にするようにしたところ、お辰どんが暴れることはなかった。
末永弥生さんが調べたところ、この地域では実際に山崩れがたびたび起きており、その事がお辰どんの話として語られているのだろう。という事よ。
災害が起きたから神仏に祈るってのは世界中ありがちな話ではあるけれど…
ここでポイントになるのは、長教寺の住職と神功皇后の関係よ。
寺院の開基は、神巧皇后(じんぐうこうごう)による古処山麓の熊襲(くまそ)征伐の折、従軍した肥前国平嶋の子孫にあたる平嶋 七郎右衛門明善によるとされています。
神功皇后の従軍した人の血筋なんだ!
しかも、その時に長崎からこっちに来たのね。
鎮圧された熊鷲が野山を開拓したことから、周辺は熊ヶ畑と呼ばれるようになったと伝えられています。
そしてこの地は熊鷲が開拓した土地。
(※ここでは「熊襲の中の一派が熊鷲」と仮定して話を進める。)
あ、もしかして、南の国から来たというのが熊襲・熊鷲を指している⁉︎
※講座の中では「お辰どうは恐竜じゃないか」なんて話も飛び出したけれど、私はそうではない説で改めて話を組み立てここに書きますm(_ _)m
ところで、講座の中では山崩れの原因は、木の伐採をした際に植林もしなかった事だという話があったわ。
平嶋氏は、住職になった家系とは別に庄屋になった家系もあり、伯爵位を得て木材運搬をしていたそうよ。
森林破壊を担ったのも、高木の神を祀り榊の木を植えたのも平嶋氏…。
お辰どんが神功皇后の植えた榊の木を怖がって出て来ないというのは、熊鷲が神功皇后を怖がっているってのと、植林が山崩れを防いでいるってのを表している⁉️
そうね。
お辰どんは、南の国からやって来た熊襲→熊鷲が開拓した土地そのものをさしていて、出て来て暴れるというのは、森林の伐採し過ぎで山崩れを起こす事をいうのではないかしら。
神功皇后の時も、船をつくる為とかでかなり木を切った話が各地に残っているけれど、植林した話もかなり多いもんね!
すごいぞ神功皇后!災害も防いでたんだね!素晴らしい👏
神功皇后が植えた木を伐採したせいで神罰が降ったという話が、福岡県糟屋郡篠栗町にある。
中納言岩
今から400年ほど前、豊臣秀吉が外国に攻め入るため、大量の軍船が必要になり、諸藩主に急いで作るよう命じました。そのときに筑前の藩主だった小早川秀秋(中納言)が若杉山中に入り、大岩の上に陣取り伐採を命じ、なんと言うことか御神木である綾杉をたくさん切り出してしまいました。(中略)
このまま何事も無くすむとは思えません、その後秀秋はほどなく病気にかかり、子孫を残さないまま若くして死んでしまい、秀秋の家系は途切れてしまいました。
「御神木」と呼ばれる木は多くあるけれど、これはただの迷信ではなく、木が山崩れを防いだり二酸化炭素を酸素に変えてくれたり、木が良い働きをしてくれているのを感じて、御神木としているのではないかしら。
木を切ることで病気になったというのも、伐採によって大気汚染が進んだとかそういうこと?
そうねぇ。
もしかしたら、元々そこに有毒なガスが少量発生していて、それまでは森林によって無毒化されていたけれど、森林を伐採したことによってその有毒ガスをもろにくらってしまった。とか、そういう事があるのかもしれないわね。