仲哀公園
福岡県京都郡みやこ町勝山松田
バイクで来たよ!
仲哀天皇平
この仲哀公園一帯は仲哀天皇平という地名で呼ばれています。
今からおよそ1800年前、九州南部に勢力を誇り、大和朝廷に反発していた熊襲を支配化におくため、仲哀天皇がこの地を一時「都」に定められたので、この地名で呼ばれるようになった と伝えられています。
環境庁・福岡県
公園といっても、何か遊具があったりとかはなく、ただちょろっとテーブルとベンチがある程度。
春は桜の名所として観光スポットらしいので、桜の時期に是非来ようと思う。
古事記や日本書紀には、ここの事は一切書かれていない。
しかし、豊浦宮(山口県)にいたとされる期間がかなり怪しい。
仲哀天皇が即位2年3月に和歌山から九州の熊襲征伐に向かったはずなのに、2年6月に山口入りして、急に時が飛んで8年1月に九州入り。
この空白の期間。書かれていないだけで実際はこっちに一旦都を置いててもおかしくないように思う。
神功皇后の名前が見えないので、和歌山県の徳勒津宮同様、景行天皇だけでここに来てたのかも。
じゃあ、どこから九州に入って来たのか。
岡浦とか岡津、岡湊とかいう、遠賀郡辺りじゃなくて、京都郡や行橋市辺りの海からなのではなかろうか。
そう考えて探したら、合致する神社伝承を発見したので、それについては次回。
峠を行けるだけ行くと、仲哀トンネルに突き当たる。
仲哀峠の歴史
この峠道をのぼり詰めたところにあるトンネル「仲哀隧道」は、 京都郡みやこ町と田川郡香春町を結ぶ全長約432mのトンネルです。
明治11年(1884)2月、 京都郡・田川郡の共同事業として工事が開始され、明治23年(1890)10月に完成しました。
仲哀隧道の名称は、土地に残る仲哀天皇の伝説にちなんだもので、隧道に至る峠道は「仲哀峠」(通称・七曲峠)と呼ばれています。
森鷗外と仲哀隧道
明治斜年(1901) 7月4日、小倉の陸軍第12師団軍医部長で あった森鷗外は、演習のため行橋から香春へ向かう途中、この仲哀隧道を通りましたが、その際、次のような句を詠んでいます。
雨に啼く鳥は何鳥若葉蔭
仲哀隧道は、昭和12年(1967) に新しいトンネルが開通した 後には殆ど利用されなくなりました。現在は安全面を考慮して通行することが出来ませんが、平成11年(1999) 12月、日本の近代 化を支えた歴史遺産として評価され、国の「登録文化財」となりました。
みやこ町教育委員会
実際暗かったんだけど、写真だと余計に真っ暗に見える。
逆光のせいだよ。
心霊スポットらしい。
でも、個人的にはそんな嫌な感じはしなかった。
前日に雨が降ったからか、いつもそうなのか、ずっと水がぽたぽたと滴る音がした。
トンネルの向こう側が見える。
ちなみに、こんな感じにかなりの急カーブの続く峠です。
私は時速20㎞程度のスピードでノロノロ走ったよ🏍️
行きも帰りも誰とも会わなかった😆
行き止まりだし桜も咲いてないから、誰も用事がなく行かない。そんな場所。