矢野竹(田)神社
福岡県朝倉市矢野竹984
googleマップで検索しても、入り口が分かりにくかった。
↑の所の道を進んで右側から入った。
そうするとこんな感じの、裏口って雰囲気の場所。
小ぶりながらも高床式って感じの社殿。
階段が新しくて、つい最近置かれたであろうちょっとしたお供え物もあった。
矢野竹(田)神社の由来
御祭神
神功皇后、植安命(土の神)、大山祇命(山の神)
御祭例
御願立て(七月の最初の丑の日)
御願成就(九月の第一日曜日)
田神祭(十二月の第一日曜日)
由緒
矢野付は、どこの村もそうであるように矢野竹(田)神社を中心に村落共同体として栄えた村である。矢野村(田)神社の創建については、筑前国続風土記附録によれば「文武天皇の大宝年間(七〇一~七〇三年)に社を建てられ、矢箆竹神社と号す」とある。
祭例については、同じく続風土記附録に「元久二年(一二〇五年)春二月、冬十一月の初丑に詣でで祭祀を執行した。その後、祭りは一時途絶えていたが、二百二十余年を経て、文安二年(一四四五年)に村民別府式部という者が神田を寄付し、祭りを再興す」と記されている。
この後、祭りは式部の子孫が代々行い、当戸時代になると村の行事として輪次として行われるようになったという。現在行われている祭りも、この祭りの流れを引き継いでいるものと思われる。
また、本社は「下がり宮」と呼ばれる珍しい配置となっている。一般的に神社は山地か高台にあって道路から石段で登るか、平地であれば道路と同平面上にあるのが普通であるが、本社は鳥居をくぐると下り坂になり、石段を降りて境内に入るという配置になっている。これについて次のような口伝がある。
「本社は、元々は現在地の東方の高地にあったが、山潮(山津波)で流され、御神体が川の淵で通っていたところを拾いあげて『元の場所がよいか、下方でもよいか』と伺ったら、『下方の現在地がよい」となったので、現在地に移転したのである」と。
本社が現在のような「下がり宮」と呼ばれる珍しい配置となった葉には、このような歴史があったものと思われる。
平成二十八年三月一日 矢野竹区
※神功皇后に特に関係ないので小さな字でm(_ _)m
矢の形の神紋。
社殿前には牛像。
社殿の向こうには小さな祠。
実はこれが、私にとっては重要なもの!
神功皇后腰掛け石
御堂内に安置されている石は、第十四代・仲哀天皇の皇后である神功皇后が、皇命に従わない羽白熊鷲征討のため、この地に兵を進めれらた際に、腰を掛けてお休みになられたとの伝承のある石である。
矢野竹村の村人は、この石を神石として大切におわりし、今日に至っている。
平成二十七年十二月八日矢野竹区
ところでこの平成27年=2015年というのは、るなさんの『神功皇后伝承を歩く』の初版発行の翌年である。
この本で取り上げられたのをきっかけに、それまでは野ざらしだったものに祠をつくり、また、このようなきちんとした案内板も設置するに至ったのかな。
大切にされていて、良い
腰掛け石の謂われ
御堂内に安置されている石は、古事記・日本書紀伝承の人物である神功皇后(第十四代・伊東天皇の右)が腰を掛けてお休みになられた」との言い伝えのある石である。
神功皇后は、甘木・朝倉一帯を支配していた族長の羽白熊鷲が皇命に従わないため、自らこれを討伐することとし、香椎宮を進発した。神功皇后軍は、羽白能鷲を追って、ここ矢野竹村に到り、ここで矢箆(矢の幹)の材料となる篠竹を伐り採った。篠材を伐り採っている問、神功皇后は石に障を掛けて休まれたと伝えられている。その石が御堂内の石である。
矢野竹村の人々は、この石を「神石」として、矢埜竹神社の鳥居の前の「休跡庵」と呼ばれていた旧御堂(後に地蔵堂と呼ばれる)この中に安置し、大切にお祀りしていたが、何時の時代にか矢埜神社の参道の傍に遷され、今日に至っていた。この度、新御堂建立に伴い、改めて堂内に安置し、お祀りするものである。
尚、羽白熊鷲の遺体は矢野竹村に葬られたと伝えられている。熊鷲塚と呼ばれる大きな古墳であったらしいが、開墾のために周囲から削り取られていき、ついには畑の中の小さな土盛りになってしまっていたという。この塚は「あまぎ水の文化村」建設時に発掘され、平成十四年に「水の文化村せせらぎ館」の前庭に複元されている。
又、矢野竹村の村名は、神功皇后が、この地で矢箆の材料となる篠竹を伐り採ったことから「矢野竹」と呼ばれるようになったとも伝えられている。
このように、矢野竹区には、神功皇石にまつわる種々の伝承が残されているが、それも時代とともに忘れ去られようとしている。この地に代々暮らしている者として、これらの伝承を後世に伝えていかなければならないと考え、これを記すものである。
平成二十七年十二月八日 矢野竹区
参考文献
日本書紀 巻九(神功皇后)
筑前國続風土記 巻十一
筑前國続風土記 附録
やのたけ(寺内ダム民俗資料報告書)
入ったのとは大体反対側にあった石段と、その向こうに鳥居。
鳥居を出て振り返ったところ。
鳥居から少し離れて撮った図。