景行天皇を追って入水した御刀媛を祀る名石神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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お寺や神社に行ったりしています。

 

 

名石神社(女石宮)

熊本県玉名郡長洲町上沖洲298

 

 

祭神
景行天皇、御刀媛(みはかしびめ)、豊国別王(とよくにわけのみこ)

 

御刀でミハカシと読むのは、刀を佩く(はく)から来ているのだろう。


 

十三年夏五月、悉平襲国。因以居於高屋宮已六年也、於是其国有佳人、曰御刀媛(御刀、此云彌波迦志)、則召爲妃。生豊国別皇子、是日向国造之始祖也。

 

≪現代語訳≫

景行天皇即位13年夏5月。襲国を平定した。高屋宮に居るようになってすでに6年。その国に佳人がいた。御刀媛という。すぐに呼び寄せて妃とした。豊国別皇子を生んだ。この皇子は日向国造の始祖である。

 

(日本書紀より)

 

 

    

由緒
「日本書紀」記載の景行天皇九州順幸の折、この地にお立ち寄りになられた由来並びに、この地より有明海に入水された御刀姫の御神霊をおまつりに成られたのが、始まりです。

(境内案内板より)

 

 
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御刀媛はどうして入水したの?

 

御刀媛は元々、日向(鹿児島・宮崎)にいたんだけど、景行天皇の後を追ってここまでやって来たそうよ。

でも、天皇はすでに発った後だったから、これ以上は無理と悟って入水自殺したんだとか。

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豊国別王(日向国造の祖)は、日向に置いて来てるんだよねぇ多分。

御刀媛はどうして子供を置いてわざわざここまで来たの?


その辺りの事とか書いてないかなと思ったけど、なかった。再建した経緯が書いてあった。

 

 立派に祀られた猿田彦大神。奥は?

 

誰だろ。


これも何やら。

飯塚にはこんな感じのが高木神として祀られてたけど、これもそうだろうか。

 

本殿横。

 


どうやらこれが、御刀媛が変化した姿、女石らしい。


ちなみに、熊本県玉名郡長洲町大字腹赤1244には十二石神社神社があり、御刀媛は十一人の女官と一緒に海底の石となったと伝わっている。


御刀媛は名前からして、刀を持っていたんだろう。
元々常に刀を持っているような勇ましい姫だったのか、そうではないけど長距離移動するからと武装して来た姫だったのか。

いずれにしても、私も連れて行って!と必死に追い掛けて来たけれど、景行天皇は出航してしまっていて、さすがに船旅は無理だと悟り入水自殺…いや、これ死ぬ目的で入水したんじゃなくて、追い掛ける気持ちで海に飛び込んだのか⁉︎
すごい執着。
狂おしい程に景行天皇を求めたんだろうと思われて、圧倒される。

(※景行天皇がここから出航したとはどこにも書いていない。ただ、御刀媛がこの場所で入水したという事はそういう事かなと思ってそう書いた。)


ところで、社殿内にあったこれ、赤腹の贄の絵!


外にも赤腹の贄。

 

腹赤の奏

景行天皇の代、熊襲征伐の帰途において「筑紫宇土郡長浜で海人が、また『肥後国風土記』では肥後国玉名郡長渚浜で棹人が、これを釣り上げ天皇に献上したとされる。天平15年(743年)1月14日に大宰府から献上されてから、毎年節会に供すべきことが定められた。

(Wikipediaより)


玉名郡長渚浜が玉名郡長洲町らしい。

景行天皇伝承が色々あって、良い😊