神功皇后に仕えた兎狭津速麻呂の廣田八幡宮 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

 

 

 

廣田八幡宮

福岡県みやま市瀬高町文廣207

 

 

廣田八幡宮縁起
 

兎狭(宇佐)国造 兎狭津彦の後裔、兎狭津速麻呂あり。

神功皇后に仕え奉って、三韓を海上に攻め戦う。時に、津速麻呂の武功、著しいによって、皇后はこれを感じられました。すなわち、筑紫廣田県二百七十町の封戸(律令制度で規定された食封として支給される戸)を授与され、津速麻呂はこれを領地とした。ときに、廣田の長者と世の人は云う。

 

引用元:2016邪馬台国勉強会(廣田八幡神社)・千寿の楽しい歴史 : 千寿の楽しい歴史 (exblog.jp)

 
サムネイル

神武天皇を宇佐でもてなしたウサツヒコの子孫が、神功皇后の時代に活躍してる!

宇佐じゃなくて、福岡の土地を貰ったのね。

 

 

その子孫が宇佐に参拝し、それからここに神社を建てたらしい。

 

 

 

 

 

何やら妙に守られたつくりの宇佐神社。

これだけ何でって思ったら、宇佐にルーツがあったからなのね。

 

 

ドンキャンキャンについては次回。