草場香椎神社(聖母宮)
福岡県みやま市瀬高町大草1519
香椎神社
由緒
気長足姫尊、山門郡大塚の里に土蜘蛛田油津媛退治の節、此里に軍ありし故に邨名を久佐婆、今草葉と書と云ふ。
蓋往古より鎮座の由伝ふ。立花統虎筑前の立花山の主たりし時宮を産土神と齋き祀りけるが天正十六年當國の城主となり、當社の橿日宮と同様に厚く尊敬し社領三町五反寄附す。
香椎聖母宮(しょうもぐう) 草葉
草葉、朝日、藤尾の三部落の産土神で神功皇后、応仁天皇,武内宿弥が祭神となっている。荘園時代の本吉庄(本吉・草葉・朝日・堤・藤尾)は平安末期から鎌倉・室町時代まで香椎宮の領地であったので本社の香椎宮(福岡市)から勧請し草場の地に香椎聖母神社を創建したと考察できる。
藩政時代に移り柳川藩主・立花宗茂の領地となる。立花宗茂は生まれ故郷(豊後国)玖珠郡筧(かけひ)村の神主、吉弘艦理の次男高橋招運の嫡男で1568年に生まれた。同所の産土神は香椎聖母八幡宮で宗茂は、かねてから厚く信仰していた。天正16年(1588)立花宗茂は柳川拝領入り城以来、草場に社殿を造営し社領を与え保護をした。また、堤、藤ノ尾の氏神でもあった。その後廻廊楼門など氏子中によつて修理がなされている。
この宮の祭礼は、旧11月19日(現在は11月第2日曜日)で、祭の座元から行列は太鼓、鐘で賑やかに行われていた。行列の順は、先頭が露払い、猿田彦大明神(赤、青の面を持つ)、神職、座元、御弓、薙刀、鉄砲、村人、お馬四人、鐘、小太鼓、人重部、傘鉾、鋏箱、道化(5,6人面を付ける)大太鼓(主役で飾りつけをする)、打つ人4名(シャグマ、タスキ)で総勢61名である。ドン、ドン、キャン、キャン、ドン、キャンキャン、と大太鼓にあわせ、鐘、小太鼓が一体となって、行列はお宮に向って進む。お宮に到着と同時に、騎馬武者が出てきて流鏑馬(やぶさめ)を行ないお祭は終わる。この草場行列(ドンキャンキャン)は昭和45年(1970)まで行われていた。
現在は草場の産土神であり祭りの風流に使用した大太鼓は神殿に保存されている。昔の参道はもっと長く松並木であった。太平洋戦時中に燃料用として松脂を取る為傷つけられその後全部の松が枯れて無くなっている。境内には観音菩薩を祀ってあり、お彼岸時は巡礼者がお参りに訪れる。
屋根には祇園守紋。
立花宗茂かな、スサノオ(八坂神社)かな、と思ってたら、立花宗茂らしいね。
ちなみに立花家の家紋の写真沢山は下記。
立花家史料館とミュージアムキャラクターの思い出 | 筑前由紀のプチトリップ (ameblo.jp)
神社の神紋って、祭神に関係ある場合と、神社周辺を領地とした武将である場合とがあるように思う。
あとは、その武将を祀る場合もあり。
神社本庁の見解は上記。
神功皇后と武内宿禰の絵馬。