日本武尊の剣から叢雲 八所神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

 

八所神社

福岡県遠賀郡水巻町二西4-1

 

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​二西って変わった地名だね。

一西もあるの?

 

一はないわ。

二は「蓋(ふた)」から来ているの。

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古代から浮島という小さい山が神社地である。神社の縁起によると、日本武尊が熊襲討伐の折、浮島に上がられ勝利を祈願されたと云う。

 

八所神社|歴史資料館 (mizumaki.lg.jp)

 

 

ヤマトタケルが浮島に来て十握剣を立てて天地の神に祈ったところ、剣から一筋の雲が立ち昇って、村を叢雲で蓋をしたように垂れ込めたの。
それからこの地を蓋叢雲郷(ふたむらぐものさと)と呼んでいたのが略されて蓋叢郷→蓋叢村→二村村→二村→二と変化していったというわ。(『水巻昔ばなし』)

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​叢雲を呼ぶ剣なんて「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」っぽくて良いね!

 

 

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​熊襲退治の頃のヤマトタケルは、女装してバレない見た目。

だから境内のこの像はちょっと老け過ぎのような。
…それとも、年をとってから来てる?

 

境内には大きな石があった。

 

正徳4年神社工事の際、土中から石棺が出土し、鈴・甲冑・剣などが発見される。石棺の底石は今も境内にある。

 

八所神社|歴史資料館 (mizumaki.lg.jp)

 

当時の記録によれば、石棺は二間四方の大小数個の組み石からなって、もっとも大きいのは長さ一丈一尺(3・66メートル)の花崗岩からなる底石であった。

また蓋石は丸味を帯びた九余尺(2・7メートル)の火山岩で、ほかに六尺余(1・8メートル)の妻石などもあったと記されている。

 

(『水巻昔ばなし』より

遠賀川の記紀伝承 21: 邪馬台国 下関 (seesaa.net)

 

 

多分この辺りの石たちが石棺だったのかな。

 

砂だけでなくワカメまで備えてあってちょっと感動。

 

 

 

奥の方へ進み、ヤマトタケルの像も過ぎたところで下っていくと、またちょっと雰囲気の違う場所があった。

向かって左の人物、ちょっと等身がおかしいね?

しかし、全体的に異国っぽい。

仏教伝来か?

 

南無大師…弘法大師空海だ!

 

お堂の中を覗く。

 

札所。やっぱり空海の真言宗だね。

 

 

オマケ

神社近くにはつくしがにょきにょき生えていた。