袴着天満宮・出目天満宮
福岡県久留米市御井町306
祇園山古墳のすぐ側の奥まったところにひっそりとあった。
袴着天満宮
この天満宮は、今は高良山地区の出目天満宮と呼ばれる神社の境内にある。大きさは三角形のひとかかえ程で、その中央に梵字が彫られている自然石がこの袴着天満宮の御神体である。
もとは御井小学校の校庭のむくの大木の下に祀られていた。
学問の神様、菅公に由来する天満宮さんは校庭とよくなじんでいたが、戦後学校に特定の宗教をまつることが禁止され、宗教と教育の分離が実施されると学校の敷地内から出目に移された。
学校から天満宮が移転してしばらくの間は酒一升を持ってお参りをしていた校長先生もいたそうである。
その後昭和四十年代に入ると、高速道路建設計画が打ち出された。出目の天満宮がちょうど高速道路が通る場所にあったので、着工と同時に袴着天満宮も共に、今の場所に再度移されたのである。七月二十四日に座と夏祭りが行なわれている。 菅原道真がこの地で袴に着がえたとのいわれから「袴着{はかまぎ}さん」の名で親しまれ、その御神体に刻まれた阿弥佗を表わす梵字が今は風雨にさらされ、ひっそリと立っている。(御井町誌 第一章 現 代 の 語 部より)
この天満宮は、今は高良山地区の出目天満宮と呼ばれる神社の境内にある。大きさは三角形のひとかかえ程で、その中央に梵字が彫られている自然石がこの袴着天満宮の御神体である。
もとは御井小学校の校庭のむくの大木の下に祀られていた。
学問の神様、菅公に由来する天満宮さんは校庭とよくなじんでいたが、戦後学校に特定の宗教をまつることが禁止され、宗教と教育の分離が実施されると学校の敷地内から出目に移された。
学校から天満宮が移転してしばらくの間は酒一升を持ってお参りをしていた校長先生もいたそうである。
その後昭和四十年代に入ると、高速道路建設計画が打ち出された。出目の天満宮がちょうど高速道路が通る場所にあったので、着工と同時に袴着天満宮も共に、今の場所に再度移されたのである。七月二十四日に座と夏祭りが行なわれている。 菅原道真がこの地で袴に着がえたとのいわれから「袴着{はかまぎ}さん」の名で親しまれ、その御神体に刻まれた阿弥佗を表わす梵字が今は風雨にさらされ、ひっそリと立っている。(御井町誌 第一章 現 代 の 語 部より)
出目天満宮
以下、由緒不明。
・出目天満宮・袴着天満宮/御神体は天体石 菅原道真 : ひもろぎ逍遥 (exblog.jp)
・御井町誌 第一章 現 代 の 語 部 1-3 (snk.or.jp)