等彌神社に祀られた神々 | 筑前由紀のプチトリップ

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お寺や神社に行ったりしています。

続き。

等彌(とみ)神社

奈良県桜井市桜井1176

 

 

 

弓張社

 

祭神

桜井弓張皇女(さくらいのゆみはりのひめみこ)

 

 

『古事記』では桜井玄王(さくらいのゆみはりのおおきみ)と表記されている。

押坂彦人大兄皇子の妃。父は第30代敏達天皇、母は推古天皇。

山代王、笠縫王を生んだとされている。

 

もともと磐余山(いわれさん)東光寺(とうこうじ)の鎮守神だったけれど、廃寺により現在の場所に遷座されたそうな。
この東光寺の近くにある「桜の井」という井戸が、地名「桜井」の由来とのこと。

 

 

等彌神社でちょっと戸惑うところは、メインの社を本殿とか上宮とかでなく、「上津尾社」ってしてるところ。

上津尾社

 

祭神

大日霊貴命(天照皇大神)

 

本殿は、元々鳥見山中にあり、天永3年(1112年)に現在地に遷された。

 

金鵄が可愛い。

なんか、わりと鳩っぽいのね🕊

 

 

祭神はアマテラスとなっているけれど。

その、ニギハヤヒという説もあるという。

 

 

そりゃあ、そういう説も出るよねえって思うには、鳥見山を登ると霊畤に至る手前に、白庭という、ニギハヤヒが遷座した場所だとか陵墓だとか言われる場所がある。

そんなんあるならむしろ、なんでニギハヤヒを祀ってないの⁉ってなる。

 

「鳥見の山の中に霊畤を立てて皇祖天神を祭らせられ大孝を申べ給へり」ってことで、大孝。

 

元御神木、だろうか。

 

下って振り返った図。

 

愛宕社

 

金比羅社

 

蛭子社

 

 

ショックな事に、下津尾を引きで撮り忘れてたみたいで、写真がなかった😱😱😱

なので、他人様の写真を引用。

下津尾社

 

右殿 :八幡社

祭神は磐余明神(神武天皇)、品陀和気命(応神天皇)

 

左殿:春日社
高皇産霊神、天児屋根命

 

神武天皇は分かるけど、他はなんとも言えない組み合わせ。

 

こっちは扉に金鵄の彫刻。

かっこいいね🕊

 

「トミ」の漢字は「鳥見」「等彌」「登美」「跡見」等たくさんある💦

何で⁉︎って困る表記ブレ。

でも、鳥見山(トミヤマ)のトミと、神武東征がやって来た当時この辺りを治めていた長髄彦こと登美毘古(トミビコ)のトミは同じトミと思われる。

 

金鵄が光り輝いて、長髄彦は降参したと伝わるわけだけど、元々この辺りを治めていたのは長髄彦やニギハヤヒなわけで。

だから、彼らをこそ祀って欲しいななんて思ってしまう私でしたよ。

 

 

 

前回。

 

 

 

ラノベ古事記 日本の建国と初国シラス物語(2) [ 小野寺 優 ]