御勢大霊石神社(みせたいれいせき)
福岡県小郡市大保1032
主祭神
足仲彦大神(14代仲哀天皇)
天照皇大神、八幡大神、春日大神、吉富大神
御創立
神功皇后 攝政二年
延喜式神名帳(平安時代中期の書物)に記載がある由緒正しい神社で、神功皇后が立てたと伝わる。
由緒
皇統十四代仲哀天皇筑前国橿日宮にて崩マレヌ。 皇后天皇の御手代としてしばらく男貌も仮り石を以て御形代として之を奉し三韓を征し給うに三韓不日に服従す。御凱旋の後大保の郷に宮柱太敷立て此の石を祭り給い御勢大霊石神社と崇らる。
仲哀天皇が亡くなった際、石に仲哀天皇の魂を宿し奉じて、三韓討伐から帰国した後、その石を祀って御勢大霊石神社としたそうな。
標柱に「史蹟 仲哀天皇殯葬傳説地」とある。
古事記には、仲哀天皇は橿日宮(香椎の宮)で神降しの儀式を行っている最中に亡くなったようにして書かれているけど、この地に伝わる話は違う。
伝承によると仲哀天皇が熊襲征伐にあたり行宮をここに設けたという。ところが天皇が戦線を巡視した際、毒矢に当たってこの地で崩御。妻の神功皇后は、兵士の士気の衰えを恐れたため喪を秘し、熊襲征伐の後、香椎の宮で発喪。
という事らしい。
香椎の由来が香る椎で、その香りが死体のにおいなんだとしたら、仲哀天皇がここで死んだとしても、遺体はわりと早い段階で橿日宮に移されてそうだなぁと思ったりなど。
この石が、仲哀天皇の魂を宿したとされる石。
朝鮮出兵にあたって御魂代の石を軍船に乗せ、仲哀天皇の鎧と兜を着せて征途についた。戦勝後に凱旋すると、その石を天皇の御魂代として、また朝鮮半島を守る不動石として祀ったと伝えられている。
この石が、仲哀天皇の格好をして仲哀天皇の代わりを勤めたのかと思うと、ふわーってなる。
子孫繁栄御神木
この御神木は、仲哀天皇の御霊石に支えられ、楡欅、もちの木、榊の木が奇跡的に三位一体となり合体し雄大に日々生長しているのです。
斜めによく伸びたこれは、三位一体の御神木とは違うんだろうけど、すごい😆
社殿。
末社として4つ。
一.粟島神社(又の名は淡島神社) 祭神少彦名命
二.成末神社 御勢大霊石大神の荒御魂
三.秋葉神社(又の名は愛后神社) 祭神火之賀具土神
四.天神社(又の名は宇迦之御魂神社) 祭神保食神
仲哀天皇の荒御魂って言わずに御勢大霊石大神のってするのはどういう意味があるんだろうか。
仲哀天皇という人物じゃなくて、この土地の神様のだよって事とか?
霊石を1つ祀るだけじゃなく、改めてもう1つ祀ったのは誰?
神功皇后側の人じゃなくて、仲哀天皇を打った側の人とか?
ここにどういう歴史があるのか。
どういう人のどういう思いがあるのか。
車で3分、歩いて10分程度の田んぼのど真ん中に、ポツンと鳥居と祠がある⛩
御勢大霊石神社の境外末社、白鳥神社。
旧御神幸の下宮として奉斎
その他勅使御館之跡勅使下向の時 御招請の御館。今は名のみを残す旧蹟なり。
との事。
昔は立派な館があったんだろうけど、今は…。
いやでも、わりと綺麗にされてるよね。
こじんまりとしてしまいはしたけれど、大切にされているんだろうなと感じる。
〈参考〉
オマケ
すぐ近くに保育園があるからだろうけど、境内にはシーソーとブランコがあったので遊んだ😆