福祉支援・福祉情報発信・プリズム 吉田綾子です
亡き母は50歳になったばかりの年に
パーキンソン病と診断されました。
その数年前から症状は出てきて、
40代後半から謎の症状に苦しみ、
病院をめぐりながら、民間療法にも
すがっていたのです。
時には宗教にもハマり、父に反対されて
辞めましたが、藁にもすがる思いで
謎の症状を、診断されてからは
不治の病のパーキンソン病を治すと
様々なものにすがっていました。
多分、その総額は相当なものに
なっていたかと思います。
病は気から
と言いますが、母も32年の間、
途中の10年は
身体面の筋力低下の進行が
緩やかだったので、
両親は
○○のおかげだ
△△が効いてきたんだ
と言っては何年もその療法を信じて
頼っていました。きっと母の
絶対にパーキンソン病を治す
という思いや、父の
何とかして進行を遅らせてあげたい
という思いが、病に対する
母の前向きな気持ちを
何とか維持してきたのでしょう。
そして、今まで仲が悪かった夫婦が、
少しずつ少しずつ、
それぞれの思いが変わり、
夫婦が力を併せて
治療に取り組むようになってからは、
母にとって父が頼りになったのかも
しれません。
俺も色々と苦労かけちゃったからな
あんな病気になったのかもしれない
父も今までの夫婦仲を後悔している時も
ありました。
奇跡は起こったのか?
起こらなかったのか?は
わかりませんが、
母にとって
医療以外の療法
が心の支えになっていたことは確かです。
医療では治らないと言われたことで、
それ以外の可能性を何十年も探しながら、
それにかけていたのでしょう。
父もそれに協力的で(宗教以外は💦)
母がこのサプリが良いと聞くと購入し、
この低周波治療器が良いと聞くと、
購入する・・・
外出が嫌いな母でしたが、
○○温泉が病気に良いみたいだ
と聞くと、日帰りで夫婦で出かけて
行きました。
夫婦の絆と、民間療法が母にとって
生きる源のひとつだったことは
見ていてよくわかりました。
それが生きる支えとなって、
発症から10年は
進行が比較的緩やかだったのかも
しれません。
これ、母が使っていた低周波の機械です。
まだあるんだ・・・