~育英高校野球部 須江監督のお話から~

NHK総合TV東北ここから「人生は❝敗者復活戦❞」

「青春は密」と言うワンフレーズが有名だが私は野球部の新入生への次のお話に感銘❣

 

新入生の皆さん、ようこそ野球部へ。                                        私たちの目指すのはただ強いチームを作ることだけではありません。それぞれが自分自身を高め、そして仲間と共に成長することが大切です。そのためには、新入生が仲良くしなければ強くなれないということを忘れないでください。

一人一人が自分の役割を理解し、それぞれが最善を尽くすことで、チーム全体が強くなります。そして、それは皆さんが互いに助け合い、協力し合うことから始まります。

皆さんが仲良くなることで、チーム全体の結束力が高まり、それが強いチームを作る原動力となります。だからこそ、新入生の皆さんには、まずは互いに理解し合い、仲良くなることを心掛けてください。

そして、皆さんが一緒に過ごす時間、一緒に練習する時間、一緒に試合に臨む時間、それぞれが大切な経験となり、皆さん一人一人を、そしてチーム全体を強くします。

これから一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願いします。👍

 

 

◇好奇心を育てる

 

脳医学の観点から、「好奇心」が脳を育てるという見方があるそうです。
それでは、子どもの「好奇心」を大切に伸ばすために、保護者にはどのようなことができるのでしょうか。

◇1つのことに集中できない。

子供がやっていること、遊んでいることを親の都合で中断させる。それが2回、3回と続くと、子供は「どうせ、また・・・」と集中しなくなる。

熱中、集中している時はトコトンやらせる。

◇好奇心旺盛な子は、   

・身の回りのことに対して知的欲求を満たしたい、もっと知りたいという気持ちが強い

・ワクワクする体験をもっとしたいという欲求がある

・いろいろなことに興味・関心をもっている

・欲求を満たすために努力する粘り強さ

このような力があると言い換えることができるでしょう。

また、何かに対して「美しいなあ」と思う「※審美眼」があるとも言えるかもしれません。

「美しいなあ」と思うのは、たとえば、楽器の演奏を聴いたとき、昆虫のはねを見たときや、絵を見たときかもしれません。

美しさに感動したりワクワクしたりするということは、興味がある対象への美しさを感じ取り、観察する力があるということです。

 脳医学の観点から、脳には「※可塑性」という特性があります。自らを変化・成長させていくことができる力のことです。

興味のある物事を「どうなっているのかな?」「もっと知りたい!」と好奇心をもって取り組むことで、脳はどんどん変化します。

それによって、もっともっと! と成長するサイクルが出来上がります。

子どもは好奇心いっぱいな印象ですが、同時に、知らないことがいっぱいでもあります。

ここからは、子どもが好きなことを見つけたり、興味・関心をもったり、好奇心をさらに伸ばす方法や準備を紹介します。    

備考

 「審美眼(しんびがん)」とは“美を識別する眼力のこと”です。 美しいものや綺麗で価値のあるものを識別する眼識のことで、それらを見極める力や能力を指しています。

「可塑性(かそせい)」とは、個体に外から力を加えたときに変形させることができ、その後力を加え続けなくても元の形に戻らない性質のことを表した言葉です。 一般的には「塑性」と呼ばれるもので、形を自由に変えることができることを指しています。

 

脳には、ミラーニューロンという神経細胞があり、相手のまねをするときに活発に働きます。実は、ミラーニューロンは、相手の動きやことばだけでなく、感情も模倣するといわれています。誰かが楽しく活動しているまねをすると、楽しいという感情もコピーすると言えるでしょう。つまり、子どもにとって、もっとも身近な保護者が、楽しんで物事に取り組んでいる姿を見せることで、興味・感心をもつことにつながります。

大事なのは、保護者が楽しんで行うこと。

まずは、保護者自身が好きなことや趣味の活動など、ワクワクと楽しんでいる姿を子どもに見せたり、「いっしょにやろう!」と誘ったりすることで、子どもも「なんだろう? 楽しそう」と思うようになっていきます。

何度も目にしたり触れたりすることで興味をもつ、「単純接触効果」という効果も働くので、もし子どもに学ばせたいことがあるのなら、親子でいっしょに始めるのもオススメです。お互いが刺激し合って、成長することにつながりますし、親子で共通の興味や趣味があれば、それに関する話題が増えます。会話によるコミュニケーションも、脳の発達には欠かせません。

人には、何も知らない物事よりも、少しでも知っている物事に触れたときの方が、対象への興味関心がさらにわく、「※流暢性効果」というものがあります。

 

これまで殆ど病院に罹ったことが無く。コロナのワクチンも診療所で検温するだけで打って頂いている。昨年8月、コロナの第6回目のワクチン接種のため塩釜市F内科を予約し訪問した。検温、血圧測定、血圧が200を超えた。「この血圧でワクチンが打てるか!」と叱られた。先に血圧の治療をすると薬を処方され1週間後にワクチンは接種頂いた。その後、毎月、血液と尿検査、そして検便、胃カメラ、レントゲン、心電図、などの検査を受ける。最近は血圧も安定し、その他の検診も異常なしで先生からもお褒めを頂く。

そこで考えた、日本ではすべての国民がなんらかの公的保険に加入することが義務づけられている。つまり〝国民皆保険〟制度なのである。日本には素晴らしい医療制度があるのだ。第一はすべての国民が公的な医療保険に加入している。第二は希望する医療がすぐ受けられ、費用は各保険から医院に支払われる。第三は「いつでも、だれでも、どこでも」それぞれの保険証を使って何の制限も受けず自由に診療が受けられるというものだ。

ところが先日、NHKの日曜討論で、その〝国民皆保険〟制度が大変だと言う。最近の高額医療と急速な少子高齢化など、国民皆保険を取り巻く状況は大きく変化しており、医療保険制度の改革が求められていると言うのだ。となると医療費を抑えることだ。医療費を抑えるには健康寿命を伸ばして病院にお世話になる期間を短くする。平均寿命は年々伸びているが健康寿命との差が2019年調べで約10歳と縮小していない。

少子高齢化と言う社会構造の変化に合わせて医療技術と情報技術(IT)を駆使して、例えば家庭でも出来る血圧測定などは家庭で行う。また、健康管理についてのアドバイスなどを罹り付け医院とネットで結び、医院の健康管理指示に患者が応える方法などの健康管理システムの研究を進めて欲しいものだ。

宮城県としても4病院の再編も大事だと思うが、例えば「県民高齢者散歩運動」として出席カードを作り、隣近所誘い合わせ散歩する。それが宮城全県の各公園で行われたら素晴らしいだろうと夢見ている。

我々高齢者が現役若者におんぶに抱っこするのではなく、なるべく負担を掛けないよう医療費を抑える工夫をすることだ。私は小児麻痺で足が悪く昨年当りから普通に歩くの覚束なくなって来た。これを切っ掛けに愛犬との散歩を毎日朝晩の2回、雨が降ろうが風が吹こうが欠かさず行っている。勿論、歩行訓練のためだったが、少しずつ体調が良くなり、夜は晩酌でご飯を食べたことが無かったが食べるようになり、酒の量も半減した。健康は口腔衛生から8020運動でも僅か2本の虫歯に詰め物があるものの全て自前の歯だ。

国政は裏金問題で岸田内閣が国会運営はおろか衆議院解散総選挙だと与野党の攻防が続くが自由民主党が引き続き政権を担当するにせよ、野党が政権を取るにせよ、憲法二十五条で保障されている「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」が実感できる社会の仕組みを望みたい。子どもにせよ、高齢者にせよ、健康が第一。誰もが心配するのが病気になった時、安心して病院に行けるような保険制度だ。それが〝国民皆保険〟だと思う。

どうも、なにをやるにしても「やる気」が起きない!モチベーションが上がらない!

あと何年生きるか分からないし、最近のニュースを見ていても、先行き明るいことが何

一つない。明けても暮れてもウクライナのニュースだと思っていたらハマスだ、イスラ

エルだ、パレスチナだとまたまた戦争のニュースだ。そこに元日、そうそう能登半島地

震だ。どう見ても明るい未来とは言えない。これで目標を持て生きろと言われても、持

てるわけない。                          

 

 

折角ここまで築いた世界の歴史、もう少し全世界の平和に使おうよ!

物を作り出す技術、未来を創造する知恵等はどんどん進歩しているようだが、こと争い

ごと、権力争いになると、狂ってしまう。人間って、なんて馬鹿なんだ。やられたら、

やり返す、もっと頭を使えと言いたい。「知識×経験=知恵」じゃないのか?

長年培ってきた経験を素に知識を深め、そこから生まれる知恵はどう使うのだ。

そもそも知識、知恵は地球上で人類が長く、楽しく生きるために使うのではないのか。

「知識」は、物事を知ることで、「知恵」は、物事の筋道を立てて正しく処理していく

能力ということ。これはつまり「知識」を使って、問題を解決していく能力を「知恵」

だということ。「知識」は、人が頭の中に入れるデータのことで、そのデータを使って

問題を解決していく能力が「知恵」である。つまり入れるデータが悪いか、頭の回転が

悪いか、それを活かせないのだから、つまり「馬鹿」だと言うことです。

 

◇波瀾万丈のはじまり!

書き始めが迷うので漱石の「吾輩はねこである」を真似てみます。

吾輩は犬である。生まれはトンと分からない。2015年頃の生まれらしい。最初の飼い主が分からない。譲られ、譲られて、2020年に現在の頑固親爺のところに来た。

吾輩(犬)も海の物とも山の物とも定かでないが、ご主人である親爺もよく分からない変人だ。

その変人ぶりは、この後、いろいろ出てくるので楽しみにしてほしい。

また、オイラもところどころで【ブレークタイム】で。ナイショ話、裏話をUPするので、お楽しみにナイショだよん( ^ω^)・・・

さて、後に頑固親爺と呼ばれた勝治の母親は、気仙郡広田村田端1の大工棟梁吉田傳之助の二女ヒサだ。生まれは大正2年11月だから現在生きていれば112歳になる。

平成11年6月、84歳で亡くなった。後に漁師の三浦米一郎と結婚。

テキスト ボックス:  母は決して肝っ玉母さんでもなければ、佐賀のがばい婆ちゃん

ようでもありません。ましてや才女でもなく、ごくごく普通の

尋常小学校高等科卒業の平凡な、どちらかと言うと信心深い、しかも体重40㎏もない小柄な母親だ。

さて、気仙郡広田村泊(現在の陸前高田市広田町)と言う小さな、

小さな片田舎の漁村である。

時は、昭和20年8月1日、まだ戦争の真っ只中、何時どこで仕込んだものか、こともあろうに、終戦の15日前である。目がクリクリした、それは、それは可愛らしい赤ちゃんが生まれた。

これが後に頑固親爺と呼ばれる三浦勝治である。

 

そして8月9日、米軍が釜石製鉄所ある釜石市を標的に艦砲射撃を行う。米軍は海と空から艦砲射撃。釜石に向かったB29は事もあろうに、大船渡市にある当時の小野田セメントの3本の煙突を釜石製鉄所と間違えて、大船渡・高田地区を爆撃。突然の「空襲警報発令」である。村民は皆、防空壕に避難、もちろん母は赤ちゃんに戻ろうしたが、戻してもら得ず、まだ名も無い赤ん坊は、泣く泣く爆撃が終わるまで、一人置き去りだったそうだ。まさに九死に一生を得て、生まれて9日目の赤ん坊は生き残った。

父が不在の為、まだ小学校3年生だった兄が、戦争に勝つようにと「勝治」がいいと、父が帰るまで勝治と呼んでいた。父が帰りその旨伝えると、それならそれでいいだろうと「勝治」と命名された。正に波瀾万丈の始まりの予感… さてさて、その後の運命は…?

やがて、戦争が終わり、生き残った私は足の立つのが早く10カ月が過ぎると足が立ち始めたと云う。そんなある日、顔を真っ赤にしてグッタリしていた。なんと40°前後の発熱。急いで病院に駆け付けるも、終戦直後の岩手県下では赤痢が大流行し、赤痢患者優先で、すぐには見て貰えず、風邪と思われ2~3日してようやく診てもらったそうだ。

その後、病院を転々しながら、あらゆる手を施したにもかかわらず、脊髄性小児麻痺に罹り下肢機能障害となる。その後、実際に足が立って歩くようになったのは小学校に入学する直前だったと聞く。母は私が小児麻痺に罹患したのは、自分の不注意のせいだと思い込み、5人兄弟の真ん中である私を不憫に思い愛情を一番注いだようだ。当時は今とは違い、障害者は白い目で見られ、周りの友達からも「ビッコ、ビッコ」と呼ばれるのは当たり前で、近所のお母さんからでさえ「ビッコのくせに」と、悪口を言われることも度々でした。

母はそれが不憫で、不憫で「手が悪くっても、足が悪くとも、立派になった人は、いっぱい居る」と良く、野口英世の話をしてくれた。そのせいもあり、後に私は野口英世記念館に3回も行っている。特に英世のお母さんがアメリカの英世に宛てた手紙は、涙なしには読めない。母親の愛情がいっぱい詰まっていて、ホント涙・涙でした。